袁術は異常気象のせいで天下を握り損ねたってホント?


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袁術

 

天災と袁術(えんじゅつ)は忘れた頃にやってくると言われています。

古来より戦争は異常気象によってその結果を左右された事がありました。

曹操(そうそう)は赤壁の戦いの前に疫病の蔓延で士気が低下して呉討伐を断念、

ナポレオンは冬将軍に阻まれてロシアを征服できず没落を開始します。

我らが袁術も、異常気象によって、天下を握るチャンスを失いました。

「どうせ嘘でしょ?」そう思うなら、どうか読んでみて下さい。

 

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呂布を寝返らせた袁術の手紙

袁術

 

呂布(りょふ)は、1年余りの兗州攻防戦(えんしゅうこうぼうせん)で曹操に敗れてしまい

195年、尾羽打ち枯らして徐州牧となったばかりの劉備(りゅうび)を頼りました。

徐州の領有を狙い劉備と敵対関係だった袁術ですが、

劉備の客分になった呂布から書状が届いたのをチャンスととらえて

その返礼の書簡に呂布に謀反(むほん)するように(ささや)いていました。

 

英雄記を引いた後漢書には以下の記述があります。

 

私は呂将軍には、3つの恩義を受けています。

1の恩義は、袁家を皆殺しにした董卓(とうたく)を将軍が殺害してくれた事

2の恩義は匡亭(きょてい)の戦いで曹操に敗れて滅亡寸前の私を

将軍が曹操を攻撃する事で救ってくれた事

3の恩義は馬骨野郎の劉備を倒すのに将軍の霊威(れいい)があった事です。

 

私は愚鈍愚物なれど、この恩に身命を賭して報いたいと思います。

聞く所によると将軍は長年の戦いで兵糧が不足しているとか、

米二十万(こく)を用意してプレゼントしましょう。

 

この一回で終りではありません、また度々兵糧を送ります。

武器や兵具でも足りないものは与えますよ。

いかがなものでしょうか?

 

袁術の狙いは3の恩義で、呂布に対して

「あんたが謀反してくれれば、劉備を打ち倒す事が出来る

そしたら、兵糧も武器も防具も

ジャンジャン!プレゼントしますよ」という事でした。


雑穀の屑しか送らない袁術に呂布は激怒して敵対する

呂布

 

兗州の攻防戦では、旱魃(かんばつ)による飢饉(ききん)に苦しめられた呂布は、

自軍を支えるだけの兵糧にさえ事欠いていました。

 

だから寄るべなく、何の接点もない劉備を頼ったくらいなので、

兵糧や武器、防具をくれるというのなら願ったり叶ったりです。

大喜びで劉備が袁術とドンパチを開始した隙を突いて下邳(かひ)で謀反し

徐州を陥れる事に成功しました。

 

 

「さあ、約束通りにしたぞ、しばらくは食い放題だ!」

 

呂布は、わくわくして袁術のプレゼントを待ちますが、

届いたのは米二十万斛どころか、もみ殻のようなクズでした。

呂布

 

袁術に騙されたと憤る呂布は、小沛に駐屯する劉備を攻めた

紀霊(きれい)の3万の軍勢に対して劉備救援の為に出陣し

紀霊に劉備討伐を思いとどまらせ撤退させたのです。

 

【奇想天外な夢の共演が実現 はじめての架空戦記

架空戦記  

袁術が約束を破ったのは異常気象のせいだった

袁術

 

こうしてみると、悪辣(あくらつ)な袁術がやる気もない兵糧で呂布を釣り、

欺いたように見えますが、実はそうではないようです。

 

例えば後漢書、献帝記には、195年5月以前に

長安が大旱魃(だいかんばつ)に見舞われたという記録が出てきます。

 

この1年前には、周知の通り兗州で深刻な旱魃と蝗害(こうがい)があり

呂布と曹操は戦争を停止し城に引っ込まざるを得ない事態に陥ります。

つまり、194年と195年の旱魃は連年の異常気象によるものであり、

旱魃の影響は寿春の袁術にまで及んだのではないでしょうか?

袁術

 

当初は、約束通りに兵糧を送るつもりだった袁術は折からの旱魃で、

国内の兵糧を(まかな)う事も覚束(おぼつか)なくなり、やむなく呂布には、

もみ殻ばかりを送ったそういう事ではないかと思います。

 

袁術が本気で約束を反故にする気なら、もみ殻どころか、

米一粒も送らないという判断も出来た筈であり、

そこを考えると、送る気はあったが旱魃で不可能になった

そんな事実があったと推測できます。

袁術と呂布

 

ここで、呂布と友好を結べなかったのは袁術にも痛恨事でした。

間もなく呂布は、陳登(ちんとう)陳珪(ちんけい)に騙されて曹操の方に傾いていき、

袁術と激しく戦う事になったからです。


さらなる異常気象で自滅した袁術

村民

 

袁術と言えば内政能力ゼロでひたすら搾取(さくしゅ)するばかり、

197年に皇帝に即位するとその贅沢も破滅的に激しくなり、

自分達と妃だけに豪華な生活をさせて

庶民は餓え苦しみ、道や濠には死体が散乱したとされています。

 

しかし、献帝記を見てみると、

197年の5月夏五月に蝗が発生した。秋九月に漢水が氾濫(はんらん)した。

この年に江淮(こうわい)の間で飢饉があり、民は互いに食い合った。

 

というような記録があり、蝗や長雨で河川は氾濫したようです。

 

江淮といえば、袁術の拠点がある寿春(じゅしゅん)も含まれていますから、

長雨で淮河が氾濫して、田畑が土砂に埋まり食料は絶望的になり

人民は餓えて、互いに食い合った可能性も否定できません。

袁術

 

この記述の後に袁術は、小勢力の陳王劉寵(りゅうちょう)を計略で滅ぼしていますが

滅ぼした理由は「兵糧を融通してくれまいか?」という袁術の要求を

劉寵が「偽皇帝にそんな事できるか!」と拒否ったせいです。

 

陳に入城した袁術軍は、凄まじい略奪行為を行い、

豊かだった小王国陳の人民は飢餓に苦しんだそうです。

つまり第一に袁術軍が餓えており、それに兵糧を横取りされて

陳の人々が餓死する事態に陥った、、このように考えて間違いないかと思います。

 

袁術を滅ぼした最大の敵は、呂布でも袁紹でも曹操でもなく、

旱魃や河川氾濫のような異常気象だったのです。


  

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso

 

袁術は何よりも天変地異に祟られていました。

二十一世紀の科学でさえ抗えない自然と戦う袁術は素敵です。

曹操も天変地異に祟られましたが、優秀な経済官僚や農業官僚のお陰で

屯田(とんでん)制等で食糧を備蓄して乗り切りました。

袁術

 

袁術にはそこまでの能力はなく、そんな人材もなく、

しかも連年の異常気象により立て直す暇もなく没落し滅亡してしまったのです。

もし、袁術がこんな連続で異常気象に出くわさなければ、

あのように秒速で滅んでしまう事は無かったのではないでしょうか?

 

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