曹操が三国一の大国・魏を作ることができた秘訣はヨイショだった

2018年12月31日


太鼓持ちな曹操

 

三国志』随一の人材コレクターと称される曹操(そうそう)

人材をゲットすることに情熱を傾けた彼は強国・()の礎をつくり上げました。

しかし、ただただ「うちに来ない?」と誰彼構わずスカウトし続けるだけでは本当に欲しい人材というものは手に入りません。

曹操があれほど素晴らしい人材を集められたのはひとえに彼が「ヨイショ」上手だったから。

では、曹操の「ヨイショ」の手腕はいかほどのものだったのでしょうか?

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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典韋の戦いっぷりをヨイショ!

典韋の戦いっぷりをヨイショ!

 

正史『三国志』でもその怪力ぶりを知られる典韋(てんい)

彼は『三国志演義』で曹操にその怪力ぶりをなんとも絶妙な言葉で称賛されています。

夏侯惇(かこうとん)に見出されて曹操に仕えることになった典韋は、黄巾賊(こうきんぞく)の残党狩りに励んでいました。

典韋が黄巾賊の頭目の1人であった何儀(かぎ)を捕えようと追いかけていたところ、なんと1人の農民ルックの大男が乱入。

 

その農民はなんと許褚(きょちょ)

 

許褚が横から何儀を掻っ(さら)っていったものだから典韋は怒髪天を突く勢いで怒り狂い、許褚に襲い掛かって激しい一騎打ちを演じました。

典韋の戦いの凄まじさを見た曹操は「かの有名な悪来(あくらい)のようだ」と大絶賛。

 

「悪来」とはあの悪名高い殷の紂王に仕えたこれまた性格が悪すぎる人物でした。

しかし、その性格の悪さをカバーする剛力で宮廷内に君臨していたそうな。

 

昏君の悪臣にたとえられるなんて典韋にとってはあまり嬉しいことではなかったかもしれませんが、

このたとえを用いることで曹操=紂王の図式も同時に成り立つわけですからちょっぴりスパイスが効いていて面白い表現だといえますね。

曹操の誉め言葉には他には無い妙味があります。

 

 

 



荀彧に期待を込めてヨイショ!

荀彧に期待を込めてヨイショ!

 

荀子(じゅんし)の子孫であるといわれる荀彧(じゅんいく)はもともと袁紹(えんしょう)に仕えていました。

荀彧の才能は袁紹にも高く買われ、袁紹に上賓の礼で迎えられて大切にされていたのですが、荀彧は袁紹が天下の大事を

成し遂げられるような器ではないと見抜いていました。

 

「いつ袁紹の元を離れようかな~誰かいないかな~」

と悩んでいた荀彧の目に留まったのが袁紹から東郡太守に任命された曹操でした。

 

荀彧はさっそく曹操のもとへ赴き、曹操に仕えたいと申し出ました。

すると曹操は少し言葉を交わしただけの荀彧のことを「我が子房(しぼう)を得た!」と称えて大いに喜んだと言います。

 

「子房」というのは前漢の高祖・劉邦(りゅうほう)を支えた名軍師の

曹操は荀彧を漢の立役者になぞらえて荀彧への称賛と期待を最大級に表現したのですね。

 

時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記はじめての西遊記

 

郭嘉の奇才ぶりをヨイショ!

郭嘉の奇才ぶりをヨイショ!

 

袁紹に仕えようと思ったもののその器の小ささに失望して家に帰ってニートをしていた郭嘉(かくか)

 

そんな郭嘉に荀彧から「曹操さまに仕えないか?」とスカウトの声がかかります。

 

さっそく曹操のもとを訪れた郭嘉は、今まで受けたことのない賛辞を受けることに。

 

「私の大業を成就させてくれるのは必ずやこの者だ!」

と曹操はヨイショにヨイショを重ねました。

 

歓待された郭嘉も

「曹操さまこそ私にとっての真の主君だ!」

と大喜び。

 

しかし、曹操の期待に応えて様々な活躍を見せた郭嘉は若くして亡くなってしまいます。

 

曹操はその死を嘆きに嘆き、

「郭嘉だけが飛びぬけて若かったのに…。

天下泰平の夢が成就したならば、郭嘉に全てを託すつもりだったのに…。」

とシクシクメソメソ。

 

その後赤壁の戦いで大敗を喫した際にも

「郭嘉がいてくれたら、こんな無様な負け方はしなかったのに…」

とシクシクメソメソ。

 

死してなお

曹操に称えられ続けるなんて

本当に郭嘉が羨ましい限りですね。

 

長所を見つけるその力はおじいちゃん譲り

 

曹操が人の長所を見出し、その長所を惜しみなく称えるのは、祖父である曹騰(そうとう)の影響があったに違いありません。

祖父といっても曹騰は宦官(かんがん)で血こそ繋がっていませんが、曹騰が宦官でありながら養子を得るきっかけになった人材を見出す能力は

きっと曹操に教え伝えられていたことでしょう。

偉大な祖父であった曹騰がいたからこそ、曹操は魏という大国の礎をつくり上げることができたのでしょうね。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

人の長所を見つけるということは人を選び抜く立場にある人はもちろん、普段の人間関係を円滑に営むためにも大切なスキルだと思います。

私たちも曹操を見習って人の長所を見つけられるようになりたいものですね。

 

 

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楚漢戦争

 

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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