于禁の名を聞いたとき皆さんはどのような言葉を思い浮かべるでしょうか?
「チキン」という言葉が咄嗟に浮かんできたという人ももしかしたらいるのではないでしょうか?
どうやら巷では于禁はチキンであると小馬鹿にされ続けているのだとか…。たしかにゲームや漫画でも于禁はちょっとチキン気味に書かれているような気がします。
しかし、于禁は本当にチキンだったのでしょうか?
今回は、その不名誉な称号がふさわしいのかどうかを検討すべく于禁の生涯についてチェックしていきましょう。
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曹操とは古馴染みの于禁
于禁は黄巾の乱が勃発した際、同郷の鮑信に仕えていました。しかし、鮑信は青州に陣取る黄巾軍の残党を討伐するための下見の最中に敵に襲われ、曹操をかばって死亡。
そのため于禁は曹操に仕えることになったのでした。
曹操に仕えてからの于禁は並々ならぬ才を発揮し、徐州を攻め落としたり呂布を生け捕りにしたり袁紹相手に善戦してみせたりと八面六臂の活躍を見せました。
これらの活躍によりその当時の于禁は張梁や楽進、張郃や徐晃と共に稀代の名将であると称賛されていたのでした。しかし、このような華々しい経歴を持つ于禁の前に「ある男」が立ちふさがったのです…。
関羽という巨大な壁を乗り越えられず…
「ある男」というのはそう、言わずと知れた武神・関羽です。呉から借りていた荊州に陣取り、睨みを利かせていた関羽ですが、曹操配下の侯音と内通して曹仁がいる樊城に攻め入ってきたのでした。これには魏軍も大慌て。
曹操はすぐに于禁を大将とした援軍を派遣します。その時期はちょうど梅雨のように雨が長期間降っていて、漢水の水かさが増していました。
しかし、于禁はそのことを加味することなく陸路で進軍。その結果、于禁軍は洪水に巻き込まれてほぼ壊滅してしまいます。于禁はなんとか高地に這い上がって難を逃れましたが、関羽が水軍でどんどこ攻めてきたのでひとたまりもなく、3万の兵と共に白旗を挙げたのでした。
一方、共に関羽を攻めた龐徳の方はあくまで抵抗を続けて戦死。
それを聞いた曹操は
「30年以上もの長い歳月、
私に仕えていた于禁が龐徳に及ばなかったとは…」
と嘆いたと言います。
このエピソードから于禁がチキンと呼ばれるようになったのでしょうが、これはまだほんの序の口。はじまりに過ぎないのです…。
孫権に捕らえられても死ねず…
于禁を捕らえた関羽ですが、あまりの捕虜の多さに兵糧が少なくなってしまい呉の国境付近で略奪行為をしてしまいます。
その結果、今度は後の呂蒙が関羽を征伐しに現れ、関羽は命を散らしてしまうことに…。于禁は自動的に孫権の捕虜になったのですが、孫権は于禁を賓客としてもてなします。
これを見てブチギレたのが虞翻でした。
「こんな不忠者、見せしめに殺してしまうべきです!」
そう主張する虞翻をなだめる孫権でしたが、虞翻の態度にまんざらでもない様子。ここでも于禁は呉人に笑われ辱められる結果となってしまったのでした。
曹丕が描かせた無慈悲な絵を見て憤死した于禁
曹操が亡くなって曹丕が魏の皇帝として即位した後、于禁はようやく魏に帰ることができました。しかし、その頃の于禁にはかつてのような威厳などなく、髪の毛もひげも真っ白で頬はすっかりこけてしまっていたのでした。
それでもようやく魏に帰ることができた于禁は曹操の墓参りをすることにします。ところがそこには曹丕が描かせたという関羽が戦に勝利して龐徳が憤怒のあまり顔を歪めて拒否するという絵が…。
もちろん、于禁が無様に降伏する姿も描かれています。これを見た于禁は恥ずかしさや怒りなど様々な感情が一気に湧き上がってきたことにより病に倒れ、ついには亡くなってしまったのでした…。
三国志ライターchopsticksの独り言
于禁はいつか魏に帰って返り咲こうと思っていたのでしょうが、魏でも笑われ者になっていたということで居場所の無さを感じて絶望してしまったのでしょう。臥薪嘗胆の日々を乗り越えてきた于禁にとってはあまりに酷すぎる仕打ちだったのではないでしょうか。
于禁は龐徳と共に死ぬことを選ぶべきだったのでしょうか?
個人的には泥水をすすってでも生き、いつか魏に帰って汚名を晴らそうとした于禁は決してチキンとは言えないのではないかと思います。ただただ時勢に恵まれなかっただけで、機会があれば于禁は昔のような活躍を見せてくれたことでしょう。
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