曹仁が最強の将軍たる所以とは?チート級の武勇を紹介


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張遼 カカロットーーーー!

 

みなさんは()の将軍の中で誰が最強だと思いますか。合肥の戦い(がっぴのたたかい)孫権(そんけん)をボコボコにした張遼(ちょうりょう)でしょうか。それとも軍の移動にかけては曹魏(そうぎ)一の速さを誇った夏侯淵(かこうえん)ですか。

 

はたまた諸葛孔明(しょかつこうめい)劉備(りゅうび)が恐れた歴戦の将軍・張郃(ちょうこう)ですか。上記で上げた将軍達も魏の中でトップクラスの人物と言えます。

 

曹仁

 

しかしレンは曹仁こそ魏の中で最強の将軍だったと思います。

今回は曹仁(そうじん)が最強たる所以をここで紹介していきたいと思います。

 

自称・皇帝
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曹仁の最強たる所以はチート級の武勇を示した所!!

曹仁

 

曹仁が最強たる所以は、チート級の武勇を示している所です。一体曹仁がどの戦いでチート級の武勇を示したのでしょうか。

 

それは赤壁の戦いの後に起きた江陵攻防戦(こうりょうこうぼうせん)の時です。赤壁の戦いで大勝利した孫呉は周瑜率いる大軍を荊州の要・江陵城へ攻撃させます。

この時江陵城を守っていたのは曹仁でした。曹仁は周瑜率いる孫呉の軍勢が江陵城へ向かってくると配下の牛金(ぎゅう きん)に兵力を与えて迎撃。

 

牛金率いる魏の軍勢は勢いよく出陣していきますが、孫呉の軍勢に包囲されてしまいます。曹仁は牛金が孫呉の軍勢に包囲される様子を城壁から眺めていましたが、牛金を救うべく数十人の配下を率いて出陣。この時、曹仁の配下達はみんなして「将軍が牛金を救いに行くのは無謀です。どうかやめてくだされ。」と必死になって止めます。

 

しかし曹仁は彼らの言葉を無視して城門を開いて、牛金を救うべく孫呉の軍勢へ向けて突撃していくのでした。

 


 

チート級の武勇を示す!!

曹仁

 

曹仁は牛金を救うべく孫呉の軍勢へ突撃し、孫呉の軍勢に包囲されている牛金を発見。曹仁はすぐに牛金を助けて退却していきますが、牛金と一緒に出撃していた兵士たちが孫呉の軍勢の中に取り残されている事を知ります。すると曹仁は再び孫呉の軍勢の中に突撃していき、牛金と一緒に出撃していた兵士達を救い出すことに成功し、江陵城へと帰還することに成功。

 

江陵城の城壁から曹仁の戦いぶりを見ていた将兵達は「曹仁将軍の武勇はチート級の強さですわ。マジパねーっすわ!!」などの歓声を上げて彼を迎え入れたそうです。夏侯淵や張郃も曹魏の中でかなりの実力を見せて実績を残していた将軍達ですが、曹仁のこの武勇にはかなわないでしょう。

 

でも合肥の戦いで孫権軍を少数精鋭でボコボコにした張遼も同じような事しているから曹仁と張遼って同じくらいの強さじゃないのと思っている方もいると思います。そのような方の為にもう一つ彼の最強たる所以を曹仁の実績以外から紹介したいと思います。

 

【魏のマイナー武将列伝】
魏のマイナー武将列伝


 

古代の勇士に匹敵する曹仁

西遊記巻物 書物

 

司馬昭(しばしょう)の側近であった傅玄(ふ げん)司馬炎(しばえん)が天下統一した後、「傅子(ふし)」と呼ばれる書物を残します。

 

この「傅子」と呼ばれる書物は三国志の前期の時代や諸葛亮死後の時代の魏・呉・蜀のことに等について色々と書かれている書物です。この傅玄は自らが書いた「傅子」の中で「曹仁の武勇は古代の孟賁や夏育(古代の勇士)に比肩する強さだ」と賞賛しています。また傅玄は曹仁を魏の将軍の中で最強とし、張遼を二番手としています。

 

ここでは曹仁のエピソード以外の点から彼が最強の将軍たる所以を紹介しましたが、みなさまはどのように思いますか。


  

 

 

三国志ライター黒田レン独り言

三国志ライター黒田レン

 

上記で曹仁は孟賁や夏育に匹敵するほどの強さを持った将軍だと紹介しましたが、孟賁(もうほん)夏育(かいく)がどれくらいすごい人物だったかわからない人が多いと思いますので、ここでちょっと孟賁・夏育について紹介したいと思います。

 

孟賁(もうほん)

孟賁も中国の戦国時代に登場した人物で、生きた牛の角を引き抜くほどの剛力を持った人物だったそうです。

 

夏育(かいく)

夏育は中国の戦国時代に登場した人物です。彼は千鈞の重さを持ち上げることができた剛勇無双の人物です。ついでに千鈞は現在の重さで言うと約600キロほどだそうです。孟賁と夏育がとんでもない人物だったことがお分かりになったと思います。

 

傅玄は曹仁が彼らに匹敵するほどの人物だったと述べていますが、あながち間違えではないのでしょうか。

 

■参考文献 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書など

 

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