官渡の戦いのMVPは荀彧ではなく郭嘉に与えるべき理由【ビジネス三国志】

2019年4月1日


 

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郭嘉と曹操は意気投合

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操が、優秀な部下達の中でも、とりわけ郭嘉を大切にしていた理由とは?

 

たとえば、想像してみてください。あなたが運動部のキャプテンで、県大会に向けての練習スケジュールを組んでいるとしましょう。

 

三国志の英雄(魏 呉 蜀)

 

トーナメントでは、強豪であるA校とB校の、二つを倒さないといけない。この時、どうしても、「A校への対策の練習と、B校への対策の練習を、半分ずつ取り入れよう」と思ってしまうのではないでしょうか。・・・で、結局、本番ではA校とB校の両方に負けて大会をむなしく去る、と。

 

部員たちには、「どちらかへの対策に集中すればよかったんじゃないか」とブーブー言われる。

 

「そんなことを言われても、二つのライバルのいっぽうへの対策を最初から捨てるなんて、そんな思い切った判断は難しいのだ!」、それが、あなたの言い分ではないでしょうか。

 

株式会社三国志で働く劉備と孔明

 

「仕事において大事なのは、一番やるべきプロジェクトに、できるだけ時間と人数を集中させ、やらなくても済む課題のほうは、おもいきって無視すること」。

 

これが、ビジネス理論でいう『選択と集中』の考え方です。もっとも、この「選択と集中」、実際には、なかなか、できるものではない。

 

ですが、先ほどの運動部の例で、トーナメント対策に悩むあなたの前にマネージャーが現れて、こんなことを言ってきたら、どうでしょうか?

 

「B校のことを調べていましたが、重要な情報をキャッチしました。監督と選手が大ゲンカをしているようで、練習のボイコット騒ぎになっているそうです。

今年のB校は実力を発揮できないと思われます。ここはA校への対策に、たっぷり時間を割きましょう!」

 

これは、助かるのではないでしょうか?

 

こんな情報をもってきてくれるマネージャーがいれば、あなたはもう、何でもかんでも相談したくなってしまうのではないでしょうか?

これが、私の想像する、曹操(そうそう)郭嘉(かくか)の良好な上下関係のカタチです。

 

 

 

 

 

郭嘉の業績をあらためて整理してみると

郭嘉

 

曹操軍の中でも「当代随一の軍略家」として、鳴り物入りで登場するキャラクターが、郭嘉。ですが、その郭嘉は、はやばやと病死して、物語から退場してしまいます。

 

三国志(さんごくし)ファンの間でも、「そういえば、郭嘉って、何をした人だったかな」と、思い出せない人も多いのではないでしょうか?

 

曹操と郭嘉

 

あの曹操に「惜しい人材を失った!」と落涙させた人、という印象だけが残っているのではないでしょうか。そこでこの機会に、曹操から愛された人材、郭嘉の功績を、整理してみることにしました。

 

 

 

郭嘉は「選択と集中」理論を理解していた!

郭嘉

 

郭嘉には、三国志に登場する他の「知将」や「名軍師」のような、派手な活躍場面は、あまり、ありません。敵陣に遠大な火攻めをしかけて一発逆転したり、風向きを変えるパフォーマンスをしたり、そういった超人的なことは、しません。

 

郭嘉

 

ですが、彼のやったことを並べてみると、現代の会社でも重宝されるような、「情報通」「政略通」であったことが、彼の本質なのだと、わかってくる。郭嘉は「やらなくてもいいこと」を見つけ出し、トップに直言する人なのです。

 

郭嘉

 

・官渡の戦い最中に、「背後を孫策(そんさく)軍に衝かれるのではないか」と恐れていた曹操に、「孫策は人の恨みを買っているようだから、早晩、暗殺されるでしょう」と直言し、安心させた(そして、実際に、孫策は殺された)。

 

後継者を決めるのに困っている劉表

 

・「背後を劉表(りゅうひょう)軍に衝かれるのではないか」と恐れていた曹操に、「劉表は小人物だから、そんな行動には出ないでしょう」と直言し、安心させた(そして、実際に、劉表は何もしてこなかった)。

 

公孫康

 

・官渡の戦いの直後、公孫康(こうそんこう
)
の領土へ逃げ込んだ袁紹(えんしょう)の息子たちについて、「無理に追わずとも、おそらく公孫康が彼らを裏切り、その首を我々に差し出してくるでしょう」と直言し、深追いを止めさせた(そして、実際、そうなった)。

 

郭嘉

 

官渡の戦いは、曹操の「一世一代の重要事業」だったわけですが、郭嘉はその戦いで直接戦うよりも、みんながその戦いに全力投球できるよう、情報収集や状況判断で貢献してくれていた、というわけです。

 

名探偵郭嘉

 

そのうえ、郭嘉の言うことは確かに当たるので、みんなも「郭嘉が言うなら大丈夫」と、安心するようになる。おかげで、みんなが、目の前のライバル、袁紹軍を潰すことに、集中できた。

 

そんな郭嘉こそ、官渡の戦いのMVPではないでしょうか。そして曹操も、おそらく周囲の軍師たちも、そのことを理解していたのではないでしょうか。

 

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郭嘉が死んでも動揺しなかった曹操軍の組織力こそ、誉められるべき?

郭嘉が亡くなり悲しむ曹操

 

郭嘉が早世したときに曹操が流した涙は、おそらく、嘘の涙ではないでしょう。厳しい独裁者である曹操だけに、その境涯は孤独。彼の判断を助けて背中を押してくれる郭嘉のような人材は、もっとも愛すべき部下だったのでしょう。

 

ところが、よくよく考えると、曹操軍の真の強さが、ここで見えてきます。

 

病死した郭嘉

 

これほどの人材である郭嘉が病気で急死した後でも、曹操軍の組織は特に揺らいでいない。曹操が珍しく落ち込んだくらいで、済んでしまっています。

 

劉禅

 

孔明(こうめい)を失った後の蜀の凋落ぶりや、周瑜(しゅうゆ)を失って陸遜(りくそん)を得るまでの間の呉の迷走ぶりを思い出すと、郭嘉を失った後の魏の落ち着いた対応は、なんと、贅沢な!

 

・呉・蜀と並べたとき、人材の豊富さという点で、魏が抜きん出ている印象を受けるのは、間違いない。もっとも、魏に仕える立場になってみると、つらいところもありそうです。

 

郭嘉

 

良くも悪くも完成された魏軍の中では、郭嘉ですら歯車の一部であり、早世した後を、別の人材がちゃんと埋めてしまいます。郭嘉くらいの人材が蜀や呉にいたら、伝説に残るほどチヤホヤされたはずなのに。そのかわり、蜀や呉では、それこそ死ぬほど過酷に働かされてしまうでしょうけれども。

 

 

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

自分が働くなら、魏・呉・蜀の、どのスタイルの組織がいいのか?

これは、考えてみると、なかなか難しい!

 

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とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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