逃げるが勝ち!劉備の逃亡人生を考察してみたよ


蜀の皇帝に即位した劉備

 

劉備(りゅうび)は蜀(221年~263年)の初代皇帝です。先主(せんしゅ)または、昭烈皇帝(しょうれつこうてい)と呼ばれることもありますが、劉備が有名なので、この記事では劉備で通します。

 

曹操から逃げ回る劉備

 

この劉備は生涯、逃亡回数が多くあります。今回は正史『三国志』から劉備の有名な逃亡話を紹介します。

 

自称・皇帝
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若気の至り! キレて役人をぶん殴り逃亡

 

中平元年(184年)の黄巾の乱、または中平4年(187年)の張純(ちょうじゅん)の乱で活躍した劉備は安喜県の県尉に任命されました。

「県尉」というのは治安維持担当の役職であり、現代で例えるなら警察署長です。

 

黄巾賊

 

真実を言いますと、この人事は最悪でした。黄巾賊の最終拠点となっていた下曲陽(かきょくよう)から40キロほどしか離れておらず、当時は土地が混乱・荒廃しています。そんな土地で税収しろなんて無理な話・・・・・・

 

途方に暮れている劉備の耳に、「軍功で県の高官になった者を選別する」という話が入ります。要するに人事異動の話です。さらに督郵が来ました。督郵というのは人名ではなく官職名であり、監察を仕事をしています。

 

前から知っている督郵だったので劉備は自分の異動の話を持ってきてくれたと思い、督郵のところにゴマすりに行きました。当然仕事をしている督郵は、劉備の見えすいたゴマすりが分かっていたので会おうとしません。

 

劉備の黒歴史

 

キレた劉備は督郵に殴り込みをかけて辞職しました。若気の至りとはいえ、あまりにも軽率すぎます。

 


 

さらば、公孫瓚!陶謙救援のため逃亡

何進

 

安喜県の県尉を辞職した劉備はその後、洛陽で大将軍の何進(かしん)が統率する西園軍(せいえんぐん)に所属して青州で賊と戦います。青州は曹操が後に黄巾賊百万を降伏させたところであり、治安が悪い土地でした。

 

三国志の主人公の劉備

 

劉備は治安の悪いところに行く不運な男です。劉備は平原郡の高唐県の尉や県令(治安責任者)の仕事をこなしていきます。

 

劉備と公孫瓚

 

彼は後に幽州の公孫瓚(こうそんさん)のもとに逃れていますが、これは光熹元年(189年)に何進が暗殺されて西園軍が董卓(とうたく)に吸収されたこと、もう1つは青州で黄巾賊の残党に敗れたことが理由です。

 

生徒に勉強を教える盧植

 

公孫瓚は後漢(25年~220年)の儒学者である盧植(ろしょく)の弟子であり、劉備も同じ塾で学んだ仲で兄弟の契りを交わしていました。公孫瓚は弟分の劉備に「別部司馬」という官職を与えます。これは将軍の下で働く官職なのですが、いつでも用意していたものではありません。現代風に言えば臨時職員です。

 

公孫瓚は袁紹に対抗するために劉備を別部司馬に任命しました。公孫瓚と袁紹が界橋(かいきょう)で戦っていた時期なので初平3年(192年)と考えられます。劉備もこの時の活躍により、臨時的ですが平原国の相に任命されました。

 

この時期の劉備に関して興味深いエピソードが残されています。郡民の劉平(りゅうへい)が以前から劉備のことを侮っており、暗殺者を雇って劉備を始末することにしました。

 

ところが、暗殺者は劉備に全てを話して逃げました。劉備の徳の深さを物語るエピソードの1つです。暗殺者を雇うことから劉平は平原国の任侠の徒でしょう。上記のエピソードは、劉備の青州で黄巾賊残党に敗北したことを知っていた劉平が、嫌がって暗殺者を差し向けたと研究者は推測しています。

 

関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

また関羽(かんう)のように文化人を見下し、張飛のように部下に乱暴を働く者を引き連れてきたのですから、統治される側としては気分が最悪だったはずです。劉備はわずか1年ほどで徐州の陶謙(とうけん)の救援のために公孫瓚のもとを立ち去ってしまい、その後2度と戻りませんでした。任命までしてもらって、このザマですから気まずい思いしたでしょうね。


 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

これは最近の話です。筆者が『三国志』関連の書籍を読んでいると、知人が「それは何ですか?」と話しかけてきました。その知人は『三国志』に対して興味がありません。

 

筆者は難しい正史『三国志』の話は避けて、小説『三国志演義』の話にとどめました。終わったあとに知人は、「それは本当の話?劉備や諸葛亮のような善人ばかり集まる国が天下をとれるかな?」と疑っていたのです。

 

アマチュアの人の方が観点が鋭い時もある。思わず納得してしまいました。

 

※参考文献

・上谷浩一「劉備玄徳の青年時代―『三国志』研究ノート<1>-」(『東洋史訪』13 2007年)

 

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公孫瓚特集

 

 

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