曹仁伝から読み取る曹仁の生涯不敗漢、もはや伝説・・・

2019年9月19日


 

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曹仁

 

曹仁(そうじん)(220年~265年)の将軍であり曹操(そうそう)の従弟です。昔から曹操の配下に属して様々な戦で功績を挙げました。マンガ・ドラマ、ゲームでは知名度は高い人物なのですが、史実ではどのような人物なのでしょうか?

 

曹仁 曹操

 

そこで今回は正史『三国志』をもとに曹仁(そうじん)の生涯を解説します。

※記事中の歴史上の人物のセリフは、現代の人に分かりやすく翻訳しています。

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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若い時はヤクザの親分!?

曹仁

 

曹仁は若い時は弓術・馬術・狩猟を好んでいました。後に各地の群雄が蜂起すると、曹仁は密かに若者を集めて暴れていました。「若者」というのは漢代(前202年~後220年)独特の用語であり、簡単に言ってしまうとヤクザです。なんと曹仁はヤクザの親分でした!

 

曹仁

 

その後の経緯は書かれていませんが同郷の曹操の配下になっており、別動隊隊長として袁術(えんじゅつ)と戦って勝利を得ます。

 



別動隊 曹仁最強説

曹仁と曹操

 

興平元年(194年)に曹操(そうそう)は徐州の陶謙(とうけん)を攻撃します。この時も曹仁は別動隊として戦って陶謙配下の呂由(りょゆう)を破ります。曹操と合流したあとも各地で陶謙軍を倒していきました。興平2年(195年)に呂布(りょふ)と戦った時もやはり別動隊として出動して呂布軍の劉何を生け捕りに成功します。

 

献帝を保護する曹操

 

建安元年(196年)に曹操が献帝(けんてい)を許昌に迎えると、曹仁は今までの功績から広陽太守に任命されしたが、曹操は曹仁の知略と勇気を評価していたことから、広陽に赴任させずに手元に置いて騎兵を指揮させています。

 

曹仁

 

建安2年(197年)に張繍討伐を行った時も、またもや曹仁は別動隊として動いて活躍しました。残念なことに、この時の戦は張繍が偽りの降伏をしたことにより敗戦となります。曹仁は撤退の最中も奮戦して曹操を逃がすことに成功!!

 

曹仁最強・・・・・・もう曹仁1人に任せておけば大丈夫では?

 

劉備との戦い 別動隊VS別動隊

官渡の戦い 騎馬兵

 

建安5年(200年)に曹操は袁紹と官渡で対陣しました。この時、袁紹は別動隊として劉備を派遣します。劉備も別動隊として戦うことには慣れている強者でした。彼が出動したことにより各地は曹操に対して叛旗を翻しました。困った曹操に対して曹仁は冷静に対応します。

 

「劉備が袁紹の強力な軍を率いて向かってきたのですから、みんな降伏して当たり前です。しかし、劉備は袁紹軍を率いて日が浅いですから、彼さえ倒せば大丈夫でしょう」

 

さすが別動隊は別動隊のことを良く分かっています。納得した曹操は曹仁に出動を命じたところ曹仁はあっという間に劉備を打ち破ってしまい、袁紹に降伏した領土も全て取り戻すことに成功します。

 

待つのも戦い

はじめてのプロ野球 関羽

 

建安24年(219年)に荊州の関羽(かんう)が樊城にいる曹仁を攻めてきました。曹操は援軍として于禁と龐徳を派遣しますが、派遣時期が悪く台風により軍は流されて龐徳(ほうとく)は戦死、于禁(うきん)は荊州に護送されました。

 

関羽

 

台風のせいで樊城も水没しかけていました。将兵も数千人しかおらず、兵糧も限界です。普通ならばもう諦めて降伏するところですが、曹仁は必死で耐えて将兵を叱咤激励します。

 

棗祇(そうし)食料・兵糧担当

 

曹仁が何の叱咤激励をしたのか、史料は語っていませんが、おそらく自分の食糧を将兵に与えたと推測されます。彼の叱咤激励を受けて将兵は凄く感動しており、裏切る人物は出ませんでした。やがて、徐晃が援軍として到着して関羽を打ち破ったので曹仁や将兵は九死に一生を得ます。

 

三国志ライター 晃の独り言 変身した曹仁?

三国志ライター 晃

 

こうして数々の功績を挙げた曹仁は魏の黄初4年(223年)にこの世を去りました。56歳の生涯でした。曹仁は横山光輝氏の『三国志』では初平元年(190年)董卓(とうたく)討伐軍が初登場ですが、その後は長く登場しません。

 

再登場は建安12年(207年)ですが、この時の曹仁の表情が初登場の時と差がありすぎです。年齢重ねたという話ではなく、顔の骨格が変わっています。横山光輝『三国志』には、年月により変身するキャラクターがたくさんいるので面白いです。

 

※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。

曹仁が大好き、または横山光輝『三国志』の骨格変形キャラクターを知っている人は、どんどんコメントをお願いします。

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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