袁術は後漢(25年~220年)末期の群雄です。短期間ではありますが、「仲」(197年~199年)という国を建てて皇帝に即位しています。
さて、この袁術は正史『三国志』や小説『三国志演義』でも悪人として描かれています。しかし、袁術は必ずしも悪人とは限りません。
今回は正史『三国志』から袁術の良き側面にのみ着目して、彼の悪人のレッテルを払拭しましょう。
※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています。
「袁術 逸話」
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子供大好き 袁術
ある日のこと、袁術が陸績を呼びだします。陸績は廬江郡太守である陸康の子です。陸康と袁術は後に兵糧問題で対立することになりますが、この話はお互い仲が良かった時のことです。
陸績はまだ6歳でした。6歳と言えば幼稚園児か小学校入学したての年齢です。さて、陸績は袁術に面会してお辞儀をします。
せっかく遊びに来てくれたので袁術は、「これでも、もらいなさい」という感じでミカンを出してあげます。近所の優しいおじさんやおばさんがくれるお菓子と一緒です。陸績は早速、ミカンを3つもらって懐に入れると、「ありがとうございました」とまたお辞儀しますが、うっかりとミカンが落ちてしまいました。
可愛らしいと思った袁術は、「陸君(陸績)は人に招かれたら、ミカンを懐に入れる癖でもあるのかな?」と尋ねます。
陸績は咄嗟に「これは母にあげるためです」と切り返します。
それを聞いた袁術は陸績が普通じゃないと感じます。この話の読了後に筆者が感じたのは袁術って子供が好きなんだ、と思いました。
孫策に対しても「孫策のような息子がいれば良かった」とか言っているくらいですからね。子供が好きというのは根は悪い人間ではないと思いますよ。
孫策を処罰せず
これは孫策がまだ袁術の客将だった時の話です。孫策の騎兵が罪を犯しました。何の罪か史料は語っていません。
騎兵は袁術の軍営に逃げ込んでしまいます。当時の孫策は、あくまで袁術の客将。勝手な振る舞いが出来るはずありません。騎兵はそれを分かって袁術の軍営に逃げたので、ずるい人間です。
だが、孫策も袁術の軍営に飛び込んでいき問答無用で騎兵を斬り殺しました。残念ながら孫策は袁術の軍営に勝手に入ったので軍律違反です。よく考えてみれば斬られた騎兵も客将の部下であるにも関わらず、何のツテがあって袁術の軍営に入れたのでしょうか?おそらく騎兵も勝手に入ったのでしょう。
孫策はこんな騒動を起こしたので、袁術に謝罪に行きました。ところが袁術は、「兵士たちは命令違反をよくするものであり、我々はそれを憎まねばいけない。どうして君を処罰しなければいけないのだ」と言って、孫策を処罰することはありませんでした。
騎兵と孫策のどちらに非があるのか袁術には分かっていたのです。
劉虞擁立計画に反対する袁術
初平元年(190年)に袁術は孫堅と一緒に董卓を討伐するために洛陽を目指しますが、董卓は献帝を連れて洛陽に逃走。
討伐軍の盟主である袁紹は独自皇帝の擁立を計画します。抜擢されたのは漢王朝の一族である劉虞でした。彼は光武帝の長男である劉彊の五世の孫です。
しかも州牧(長官)という地位にありながら常に質素倹約に努めており、民からの評判が非常に良い。
袁紹・韓馥は董卓に対抗するために、この劉虞を新しい皇帝にしようと計画しました。袁術はこの時、同意を求められますが、討伐軍の本来の目的が董卓打倒にあったはずであると主張して猛反対!
また、曹操も袁術と同意見であり「君たち(袁紹・韓馥)は劉虞に仕えよ。私は西の主君(献帝)に忠誠を尽くす」と言って反対します。
結局、擁立計画は劉虞本人の反対もあったので頓挫しました。さて、袁術が劉虞擁立に反対した理由はどこにあったのでしょうか?もちろん、董卓打倒を貫徹したかったでしょう。しかし、別の方面もあったと筆者は見ています。
それは劉虞自身にあったと考えられます。劉虞はこの擁立事件から間もなくして、公孫瓚に討たれます。公孫瓚が劉虞の屋敷を家宅捜索すると、なんと屋敷の中は金銀財宝が多く、妻妾も豪華な服を身に着けていたのでした。
つまり、劉虞は民をだましていた「偽善者」だったのです。おそらく袁術は劉虞の真の姿を知っていたので擁立に反対したと考えます。
三国志ライター 晃の独り言
以上が袁術の逸話に関した解説でした。袁術は悪い人という印象がつくのですが、それは小説『三国志演義』の影響のせいです。史実の袁術を読むと、心温まる気分になったりします。余談ですが筆者の愛読書『劉備徳子は静かに暮らしたい』では袁術は美人の女性として登場します。
ちなみに、そのマンガの中で養蜂場の購入希望を出しています。面白いネタだから、その話が筆者は知りたかったのですけど、違う話に行ってしまい残念でした。
※参考文献
・石井仁『魏の武帝 曹操』(初出2000年 後に新人物文庫2010年)
・高島俊夫『三国志 人物縦横談』(初出1994年 後に『三国志きらめく群像』2000年 ちくま文庫に改題)
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