歴史書『三国志』の曹植のモデルは司馬師の養子である司馬攸だった?


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幼い司馬衷

 

泰始元年3年(267年)に司馬炎(しばえん)司馬衷(しばちゅう)を皇太子に任命しました。しかし司馬衷は飢えている人を見て、「米が食えないのか?肉でも食えばいいじゃないか?」と不適切な発言をするので、以前から評判が良くありません。

 

司馬攸

 

おかげで周囲からは司馬炎(しばえん)の実弟である司馬攸(しばゆう
)
を後継者にした方がよいという意見が出ました。だが最終的には当初の予定通り司馬衷が後継者になります。陳寿(ちんじゅ)は上記の件をもとに正史『三国志』である話を執筆しました。

 

自称・皇帝
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司馬師の養子となる司馬攸

司馬懿、司馬師、司馬昭

 

司馬攸について少し解説します。前述したように司馬攸は司馬炎の弟です。父は司馬昭(しばしょう)、祖父は司馬懿(しばい)、叔父は司馬師です。司馬攸は幼少期には司馬師の養子になります。これは司馬師に男子がいなかったからです。

 

斉王になる司馬攸

 

ただし、司馬攸が養子となったのは「いつ」、「誰」の意思によるかは史料により違います。『晋書』巻38・司馬攸伝では、魏(220年~265年)の正始2年(251年)に王淩が反乱を起こした時期に、司馬懿が養子になることを命じています。一方、『晋書』巻3・武帝紀では司馬師の死後に司馬昭が命じて養子にしたという説もあります。

 

眼球が取れる司馬師

 

これはどっちが正しいのでしょうか?『晋書』巻38・司馬攸伝によると、司馬師が死んだ時に司馬攸は慟哭して人々から称賛されたことが記されています。現代の我々の感覚では信じられないのですが、当時の社会では父母の葬式ではドン引きするくらい大泣きすることが当たり前でした。これが最高級の親孝行とされていたのです。この司馬攸のドン引き孝行から察するに、すでに司馬師の生前から養子になっていたと考えられています。


司馬炎VS司馬攸は曹丕VS曹植の元ネタ!?

陳寿(晋)

 

正史『三国志』の著者である陳寿は司馬炎と司馬攸の争いから、『三国志』のある話を執筆します。それは・・・・・・曹丕と曹植の後継者争いでした。

 

曹植は軟弱ではなかった

 

曹植(そうしょく)は文才があったので曹操(そうそう)から可愛がられましたが、冷淡な兄である曹丕(そうひ)は後継者選定の際に障害となった曹植を迫害したことで有名です。

 

後継者争いで喧嘩する曹丕と曹植

 

小説『三国志演義』も上記のイメージを踏襲しており、現代の我々にまで浸透しています。実際に筆者も若い時は曹丕(=悪)、曹植(=善)のイメージが強かったです。近年の研究によると陳寿が『三国志』の曹丕・曹植の後継者争いに部分で書きたかった内容は、司馬炎と司馬攸の争いだったと言われています。

 

だが、これは不可能でした。昔は今のように時の政権を批判したドキュメンタリー本が簡単に出版できるものではありません。見つかれば即刻死罪です。しかし陳寿はどうしても司馬炎と司馬攸の兄弟争いを書きたかった。そこでネタとして使用したのが曹丕と曹植です。陳寿は自慢の筆力で曹丕を冷淡な兄に、曹植を優秀な弟という後世まで払拭出来ないイメージを貼り付けることに成功!

 

曹丕と曹植

 

確かに曹丕が曹植を支持した官僚を死刑・迫害を行ったのは事実です。ところが、弟を不遇に扱ったという形跡は全く無いことが判明しています。曹植は領地変更は激しかったですが、実際は領地面積や俸給は上がっています。このことから、曹丕は曹植に危害を加えるどころか、逆に温情ある兄だったことが分かります。

 

後継者争いをしている曹丕と曹植

 

以上のことから正史『三国志』曹丕と曹植の争いは一部が、陳寿による改ざんの可能性が高いと考えられています。


三国志ライター 晃の独り言 三国志キャラクター・ノート作成!

三国志ライター 晃

 

中学2年の時に筆者は三国志に熱中する余り、自分でノートに三国志に登場する人物について詳細に記していたことがありました。親からパソコン借りてネット検索。生没年、代表的な戦、使用武器など色々調べて書きました。気が付くと、3冊ほど出来上がっていました。

 

小学生の自由研究だったら100点満点の出来です!ノートは行方不明になってしまい、手元にありませんが、今ではとてもよい思い出となっています。

 

※参考文献

・小池直子「『晋書』司馬攸伝小考」(『東洋大学人間科学総合研究所紀要』18 2016年)

 

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全訳三国志演義

 

 

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