晋の天下統一は羊祜・杜預の2名がいないと不可能だった

2020年1月29日


 

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魯粛と周瑜が詐欺を決行

 

天下というのは、一人の人間の力でどうにかなるものではありません。

 

赤壁の戦い

 

例えば、赤壁の戦い一つ取っても魯粛(ろしゅく)周瑜(しゅうゆ)の2名がいなければ、呉は戦わずして曹操(そうそう)に降伏した可能性は高いでしょう。破竹の勢いの故事で知られる杜預(とよ)の呉討伐も、実は、杜預一人では為しえない事でした。それは、羊祜(ようこ)と二人揃って初めて実現可能だったのです。

 

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有能だが厳格過ぎて味方がいない羊祜

羊コ 羊祜 魏と晋

 

最初に司馬炎(しばえん)の密命を受けて、呉の討伐の前準備に取り掛かったのが、羊祜です。

 

司馬炎(はじめての三国志)

 

司馬炎は、西暦269年、羊祜を都督荊州諸軍事(ととくけいしゅうしょぐんじ)に任命して襄陽(じょうよう)に駐屯させて呉の名将陸抗(りくこう)対峙(たいじ)させました。羊祜は地道に荊州付近で学校を建て、税を軽減させたり、呉の人々に礼儀正しく接する事で人心を得て、多くの呉人が大挙して羊祜に帰順するようになったので、276年10月羊祜は征南大将軍として、再び開府の権限を与えられたのを機に王濬(おうしゅん)監益州諸軍事(かんえきしゅうしょぐんじ)龍驤(りゅうじょう)将軍に任命して水軍を編成させ、自身は兵を訓練し装備をととのわせ、呉征伐の上奏をしました。

 

悩む司馬炎

 

羊祜からすれば、(陛下、荊州は暖めておきましたから、後は進軍するだけで、次々呉兵がどっかんどっかん降伏します、今がチャンスです)と大乗り気でした。もちろん、司馬炎は呉征伐に大乗り気でしたが、賈充を含め重臣がこぞって猛反対したので強行するわけにもいかず、呉討伐は立ち消えになったのです。

洛陽城

 

どうして、こうなってしまったのか?その大きな理由は、羊祜が秘密主義で司馬炎や杜預や張華のような一部の人間にしか呉討伐の計画を打ち明けていない事でした。おまけに羊祜は身内であっても機嫌を取らず出世もさせない上に、朝廷で高い地位にある王衍(おうえん)王戎(おうじゅう)も遠慮なしに軍法を侵して処分しようとしたので、宮廷に誰も味方がいなかったのです。

張華

 

羊祜は、(折角のチャンスなのに、これを取らないとは悔いても及ばん)と嘆き、病気になってしまい、そのまま死去する事になります。しかし、死ぬ前に張華(ちょうか)が自分の真意を見抜いた事に気づき、「俺の後継ぎはチミだよろしく頼む」と言って亡くなりました。

 

杜預と張華が合わせ技で司馬炎に決意させる

孫呉討伐戦の総大将に就任した杜預

 

折角、羊祜が暖めどっかん!寸前の呉討伐の計画が一気にクールダウンした時に、司馬炎が呼んできたのが杜預でした。278年11月ついに羊祜が亡くなると、司馬炎は杜預を鎮南大将軍として、羊祜のあとをついで都督荊州諸軍事に任命します。ここを見ると、司馬炎は羊祜を病死させてしまったものの、呉討伐の意思は変わらず持っていた事が分かります。しかし、司馬炎は、尚も重臣の反対を恐れて未だに呉討伐の勅命を出せずにいました。

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そこで、杜預はこんな事を司馬炎に上奏したのです。

 

「かつて羊祜は朝廷に友達が一人もなく、陛下とだけ呉討伐の計略をともにしていたので、多くの重臣は羊祜の策に異を唱えて計画は頓挫(とんざ)してしまいました。しかし、陛下、行動というものはメリットとデメリットを考えてアクションするものです。呉討伐の計画は10から8・9はメリット、残りの1・2のデメリットは、この計画に異を唱えている大臣たちに功がないことだけです。」

曹髦の暗殺許可を出す賈充

 

これを聞いて司馬炎はハッとしました。重臣達が討伐に反対しているのは戦争が嫌だという事もありますが、呉討伐が成功し、羊祜が手柄を立てて、自分達の地位が脅かされる事を恐れている事に気づいたのです。

 

さらに、杜預は続けます。

 

「この秋より、呉を攻め滅ぼそうというわが軍の姿勢は察知されつつあります。グズグズしていれば、孫晧(そんこう)は首都を武昌にうつし住民を避難させ城壁の修理をしてしまいます。そうなれば城は難攻不落で、兵糧を奪おうと思っても畑に作物もなく呉討伐は難しくなってしまいます」

 

孫晧(孫皓)

 

杜預は時間が経過すると、羊祜が呉人を優遇して懸命に人心を得た苦労が消えてしまうと司馬炎を焚きつけます。さらに、近くにいて羊祜の真意を見抜いていた張華も即座に杜預に賛成して、司馬炎を元気づけます。こうして、司馬炎は、呉討伐を決意したのです。

 

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もっとも戦争に反対だった賈充を総大将にして反対を阻止

三国志を統一した司馬炎

 

司馬炎も基本聡明な人なので、杜預の発言の真意をちゃんと見抜いていました。呉討伐の総大将に、反対派の重鎮である大尉賈充を大都督に任命して呉を攻めさせます。賈充は、総大将になってもやる気は全くなく、常に撤退しようと考えていましたが、杜預にとっては、どうでもいい事でした。

 

反対する賈充

 

賈充はただの神輿(みこし)であり、嫌々でも戦地にいてくれればよかったのです。戦争自体は全く破竹の勢いであり、士気が低い呉の軍勢は晋の軍勢がやってくると先を争って降伏し、およそ4カ月で呉は完全に征服されました。文句ばっかり言っていた賈充ですが、戦争に勝利していた事によりその地位は揺らぐ事がないので、積極的に杜預を陥れる事まではしませんでした。これにより、杜預は横やりを入れられる事なく、楽々と呉討伐を成し遂げたのです。

 

兵士 朝まで三国志

 

杜預は、過剰に清廉潔白だった羊祜と違い、重臣たちに恨まれないように、度々、自宅に招待して御馳走して帰すという腹芸が出来る人でした。呉の討伐プランのほとんどは、羊祜が敷いたものですが、羊祜が不得意だった根回しを杜預が行う事で、見事に呉討伐の計画は実行されたのです。まさに、呉討伐は羊祜と杜預が二人で完成させたと言えるでしょう。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

一度、国内の体勢が固まると、そこで既得権益(きとくけんえき)を得た層は、新しい戦いを嫌がります。大きな理由は、もう生活が安泰なので新しく危険を冒す必要がないという事が一つ。もう一つは、自分達が尻込みしている間に、ハングリーなヤツが手柄を立てようものなら自分達の地位が(おびや)かされるというものがあります。羊祜は、優れた戦略家ではありましたが、既得権益者の二つの危機意識を理解する事が足りず頓挫し、その不足分を杜預が補ったのです。

 

晋書:杜預伝 羊祜伝

 

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