こちらは3ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
- 1ページ目
- 大河ドラマ 平均視聴率39.1%で歴代1位
- 独眼竜政宗の最終回の視聴率47.8%
- 独眼竜政宗(1987年)→ 武田信玄(1988年)→ 春日局(1989年)
- 好きな大河ドラマアンケートでも堂々の1位「独眼竜政宗」2005年
- 独眼竜政宗の原作は山岡荘八、脚本はジェームス三木
- 2ページ目
- 梵天丸もかくありたい
- 伊達政宗を演じる渡辺謙がすばらしい。
- 独眼竜のあだ名による演技
- そもそも伊達政宗とは?
- 国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙では3位
- 3ページ目
- 伊達政宗のエピソード(逸話)
- 10年早く生まれていれば天下を統一できた?
- 独眼竜政宗の斬新なオープニング
- 空前の伊達政宗ブームが到来
- 戦国ライターしばがきのひとりごと。
- 大河ドラマ『独眼竜政宗』 紹介動画(チャンネル銀河)
伊達政宗のエピソード(逸話)
・城を攻めたときに、町人たちまで全て殺してしまう(八百人切り)。
・拉致(誘拐)された父親を含めた鉄砲で撃ち殺す(政宗の父殺し)。
この頃まだ23歳ですよ。他にも例を挙げればきりがありません。スゴいと言うか、サイコパスな雰囲気がプンプンしますよね。それでも、軍事面としては天才的で、奥州平定をたった2年で成し遂げます。
関連記事:伊達政宗の逸話や過激エピソードは本当なの?眼帯や親殺しは創作?
10年早く生まれていれば天下を統一できた?
織田信長が、尾張平定に8年かかったということを考えるとそのスゴさが分かります。10年早く産まれていれば、天下を統一したのは政宗だったなどと言う人もいるくらいです。実際に政宗が、天下を夢見ていたというような話も伝わっています。
ですが、足元が固まった頃には既に豊臣秀吉が君臨しており、小田原でも大軍勢をみせつけられます。戦国の時代は終わりかけていたのです。このドラマでは、苛烈なエピソードを織り交ぜながらも、実は繊細で心優しい人間であったということが描かれています。そう、しかも実際に、その後何年も奥州の治世に尽力し、今でも名君との呼び声も高いのです。
独眼竜政宗の斬新なオープニング
このドラマがヒットした理由の1つが、それまでなかった斬新なオープニングだったといわれています。それは、現代からの視点で、ゆかりのある場所や、後世に伝わっている話などを丁寧に解説してくれるというものでした。これによって、あまり歴史が得意でない人まで入っていきやすくなります。また、あまり東北になじみのなかった人にも、地図で動きなどを説明してくれるので、ドラマが理解しやすくなったのです。
そのおかげもあっての大ヒット。また、そういった現在の映像なども魅力紹介のようになって、大河ドラマのロケ地に行ってみるというブームが起こったのです。
空前の伊達政宗ブームが到来
さきほども触れましたが、ドラマをきっかけに日本では空前の伊達政宗ブームが巻き起こります。そして、すでに1982年に、東北新幹線が開通しておりましたので、仙台を中心に観光客が殺到します。大河ドラマがきっかけで観光客が増えるというのも、このドラマが最初だといわれています。今では、なんとかロケ地を誘致しようと各自治体が努力されていますね。
戦国ライターしばがきのひとりごと。
この作品の放送当時、私は小学生でした。両親と観ていたのですが、伊達政宗の眼帯がかっこよくて、真似して作ったのを覚えています。学校に着けてくる子もいましたね。
あとは、黒の甲冑や兜の大きな三日月なども流行りました。
「梵天丸もかくありたい」を言ったかどうかは覚えておりませんが、今言ってみるとスムーズに口が動きます。
そして、その次の年には武田信玄に夢中になり、今度は赤の甲冑に憧れます。私を含め、これらの大河がきっかけで、多くの少年が戦国好きになったのは間違いないでしょう!
関連記事:武田信玄の西上作戦はないない尽くしの超ボンビー遠征だった
大河ドラマ『独眼竜政宗』 紹介動画(チャンネル銀河)