正史三国志と三国志演義ではキャラクターが違うというのは良くあることですが、その中でもかなり違う人物として孫尚香、孫夫人がいます。特に三国志演義の彼女は女性の中でもひと際目を引く存在ではないでしょうか。
しかしそんな彼女も正史三国志と三国志演義ではかなり違う?
ということでそんな彼女に今回はフォーカスしたいと思います。
この記事の目次
孫尚香という名前
さて孫尚香、というと三国志時代の人、そして女性にしては珍しく名前が伝わっているんだなぁと思われるでしょう。確かに孫権の妹で劉備の妻ともなればやはり名前がしっかりと残って……いるという訳ではなく、この名前は京劇で彼女の名前を「孫尚香」としたものが始まりとして、一般に広まったのです。
実際に彼女の名前はどうだったかは正史三国志を見ても不明であり、孫夫人としか記されてはいません。ただ今回は敢えて孫夫人ではなく、孫尚香という名前で進ませて頂くこととします。ご了承くださいね。
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孫尚香の出自
孫尚香といえば孫権の妹としても有名ですが、一般的には同母ではなく異母妹とされています。主に孫策と孫権は呉夫人の子とされ、孫尚香は呉国太の子とされていますが正史を見るとこれまた謎が残ります。何故ならば正史には呉国太の記述がないからです。
なのでもしかしたら父・孫堅の他にいた側室の子であったかもしれません。
正史の孫尚香の性格は・・・
そんな孫尚香の記述は、正史ではほとんどありません。ただ記されているのは気が強く、傲慢で不遜、周囲と良くトラブルを起こす性格は本人だけでなく、呉から連れてきた兵士たちも同じで、素行が悪い部下たちが良く法を犯したと記されています。
また孫尚香の部下、女中たちまでも武装させたことは三国志演義でも言われていますが、こちらも正史では同様です。しかしその振る舞いは「威嚇行動のよう」と……記述の端々から単なる気の強い女性と言うだけでなく、彼女が蜀にとって、劉備たちにとって問題があったように記述されているのです。
孫尚香のお目付け役・趙雲
そんな態度をとる彼女のお目付け役として趙雲が選ばれました。しかしこのお目付け役、異例なことです。本来、この時代では宦官と言う生殖能力を失った男性や、女性だけが夫人たちの世話を行っていました。
これは日本で言う大奥と同じで、後継者の血筋を正しくするためでもあります。確かに趙雲と言えば信頼できる忠実な人物ですが、そんな人物とは言え男性をお目付け役にするのは異例中の異例なのです。なのでここからだけでも孫尚香が如何に危険視されていたかが分かると思います。
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