劉備が長年欲していた、そしてやっと手に入れた自分の土地、蜀。蜀では蜀漢の法律として「蜀科」というものが制定されました。蜀科には諸葛亮、法正、劉巴、伊籍、李厳らが関わりました。
が、このそうそうたる面々、張飛に対して無礼な態度をとったと言われる劉巴を始めとして中々クセのある人ばかり。諸葛亮や法正はよく知られていることでしょうから、今回はその他の三人にも触れていきたいと思います。
この記事の目次
長らく劉備に仕えなかった劉巴
劉巴は荊州出身であり、その才能から劉表から何度も招かれたことがあったようですが、父親との関係からその招集には応じないままでした。その後、劉表が亡くなり、跡を継いだ劉琮は攻め込んできた曹操に降伏、荊州の多くの民は劉備に従いましたが、劉巴は曹操に仕えることとなります。
しかしその後、劉巴が荊州平定に従軍している際に曹操が赤壁で敗北。退路を失うもそれでも劉備に仕える道は選ばず、逃亡。劉備は劉巴が自分に仕えることを良しとしない姿勢に怒りつつも残念に思ったそうです。最終的に劉備に仕えるようにはなったようですけどね。
張飛に対する態度に諸葛亮も困り顔
そんな劉巴は慎み深い生活をおくっていたと言われ、他人に嫉妬されることや疑われることを避けていたと言います。しかしその一方で、プライドの高い人間でもありました。
ある日張飛が劉巴の家に泊まりました。しかし張飛が話しかけても劉巴は話を返さず、張飛は腹を立てたようです。これを聞いた諸葛亮が劉巴に取りなしをするも「立派な男子がこの世に生きて行くためには、当然四海の英雄と交わるべきです。どうして兵隊野郎と語り合う必要がありましょうか」と取り付く島もなかったようですね。
劉備にとっても大事な張飛であってもこの態度は豪胆と言うか、不遜と言うか……優秀でありながらもどこかクセのある人物でもあることを感じさせます。
「蜀科」に関係した男たち
さてこのように優秀でありながらもどこか人として「クセ」を感じさせる人物だった劉巴。そんな劉巴は前述したように蜀漢の法律、蜀科の制定に関わった人物です。
この蜀科には劉巴の他に諸葛亮、法正、伊籍、李厳らが関わりました。張飛への、そして劉備に仕えるまでを考えると劉巴は中々クセを感じる人物。そして劉巴以外もまた同じように一癖も二癖もある人物です。次に伊籍について少し紹介しましょう。
劉表死後から劉備に仕えた伊籍
伊籍は荊州、現在の山東省、河南省辺りの出身で、当時は劉表に仕えていました。そして劉表の元に落ち延びてきた劉備と付き合うようになります。その縁もあってか、劉表の死後は劉備と行動を共にするようになります。
劉備は伊籍を良く用い、益州を手に入れた後は左将軍従事中郎に任じました。この地位は簡雍や孫乾に次ぐ地位で、伊籍が重用されたことが分かります。
【次のページに続きます】