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この記事の目次
1596年のサン=フェリペ号事件・秀吉が直接迫害したきっかけ
1587年のバテレン追放令は、初めてキリスト教に対する禁令でしたが、キリスト教そのものへの禁令でもなく、また貿易を重視していたこともあり、あまり強力なものではありませんでした。宣教師たちも表立っての布教はしないものの、各地に潜伏しながら引き続きキリスト教の教えを広めようとします。
ところが、9年後の1596(文禄5)年に起きたある事件をきっかけに秀吉の態度が強化します。それはサン=フェリペ号事件。この年フィリピン・マニラを出航したスペインのサン=フェリペ号は、太平洋横断を行おうとしていました。ところが東シナ海で台風の被害にもまわれ、かろうじて日本に流れ着きます。土佐沖に漂着した船を見た大名の長宗我部元親は、高知の長浜に船員たちを止めおきます。
その際に所持品や荷物を調べているうちに、スペインは海賊でこれまで南米のペルー、中米のメキシコ、そしてフィリピンを武力で制圧したことを知り、日本でもそれを行うために来たといった内容を秀吉に送ります。スペインと日本の国力の違いを語ったとの記録もあり、それを聞いた秀吉は直後に禁教令を発布。宣教師と修道士、日本人信徒20人の合計26人を処刑してしまいます。これは日本二十六聖人とされるもの。秀吉がキリスト教徒に対して唯一迫害した事件として記録に残ります。
秀吉亡き後のキリスト教① 家康が出した本格的なキリスト教禁止令
サン=フェリペ号事件により、秀吉がキリスト教徒に直接迫害を開始しましたが、この2年後に秀吉が死去。時代が大きく動き、関ヶ原の合戦を経て家康が天下を取り、江戸幕府が開府します。関ヶ原の合戦が起きる半年前、1600(慶長5)年3月に、イングランドのリーフデ号が日本に漂着。この船には後に三浦按針と呼ばれる、ウイリアムアダムスが乗っていました。
彼はプロテスタントだったこともあり、当時日本にいたカトリックのイエスズス会からの反発はありましたが、家康は彼らを引見。プロテスタントのことを知った家康は彼を重用、布教を黙認しています。しかし禁教令自身は解除していません。とはいえ一時は再びキリスト教の宣教師が来日し、九州を中心に教会が立てられて発展しています。
ところが1608年に日本人が60名以上殺害された「マードレ・デ・デウス号事件」それに続いて、家康の側近・本多正純の家臣でキリシタンの岡本大八が起こした収賄事件などが相次ぎ、ついに家康はキリスト教に対して禁止令を出しました。それは1612(慶長17)年4月のこと。これは秀吉時代よりもより厳しい内容となっています。キリシタン大名や旗本などキリスト教徒だったの領主の改易や処刑が始まりました。このため熱狂的な元キリシタン大名高山右近は、フィリピン・ルソン島に渡ったほどです。
秀吉亡き後のキリスト教② 家光時代に起こった島原の乱と鎖国
家康による慶長の禁教令以降、本格的なキリスト教への迫害が始まりました。二代将軍の秀忠も家康に追随し、1619(元和5)年にキリシタン禁令の高札設置。1622(元和8)年の大殉教では、キリスト教徒が55名火刑や斬首されるなどの事件が相次ぎ、キリスト教徒に対して棄教を迫るようになりました。
1629(寛永6)年には有名な踏絵が登場。しかし度重なる迫害でも、ひそかに信仰を守る隠れキリシタンも登場します。そして1637(寛永14)年には島原の乱が勃発。元々キリシタン大名有馬氏の所領だった地で、当時の領主だった松倉勝家は、石高を過大に見積もったためにキリシタン弾圧と過重な労役と年貢を課していました。
それに爆発した民衆は、天草四郎を頂点に、残されたキリスト教徒が集結。島原半島の原城に立てこもります。幕府軍は4カ月にわたってこれを攻撃し鎮圧。乱の主要因を起こしたとされる勝家は幕府により斬首刑に処せられました。これを持って、幕末の開国まで表だって日本国内にキリスト教徒は居なくなりました。
戦国時代ライターSoyokazeの独り言
キリスト教への迫害が強くなったのは家康以降で、秀吉の頃はまだ信仰の自由については認めていたのがわかります。しかし唯一神信仰を持つキリスト教は、時の権力者にとって厄介な存在。かつての古代ローマ帝国が内部から崩壊した理由もキリスト教と言われます。そんなキリスト教も幕末の開国から復帰、明治維新後もしばらく日本人は禁教でした。やがて認められ、教会が続々とできて現代に至ります。ちなみに信仰の自由は、戦後が初めてではなく、明治の大日本帝国憲法下でも保障されていました。
参考文献
「豊前覚書」
「高橋紹運記」
ルイス・フロイス「日本史」
太田淑子 「日本史小百科 キリシタン」東京堂出版
安野眞幸「バテレン追放令 16世紀の日欧対決」日本エディタースクール出版部
高瀬弘一郎「キリシタンの世紀 -ザビエル渡日から「鎖国」まで-」岩波人文書セレクション
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