主君を変えず、最期まで共にするのが美徳とされた時代。
そんな中でも、いやそんな時代だからこそなのか、戦乱の世では主は日替わり弁当な場合も良くあるのが面白い所。今回は数多く主君を変えた一人、陳寿に徳性を備えたと言われた人物華歆と、その華キンの徳性に拍車をかけた?王朗についてちょっとお話をしましょう。
真面目だった華歆
さて、いきなりですが筆者のイメージとして華キンは「とても真面目」というのがあります。
というイメージを抱いたきっかけエピソードを紹介しましょう。
それは華キンの故郷が地方で有名な繁華街だったというお話です。繁華街と言えば誘惑が多いもの、多くの官吏たちは休日になるとそこで遊んでいたと言いますが、華歆は違いました。
華キンは家から出ないように、そして誰からも誘われないようにか、門を閉ざして家から出なかったようです。何ともストイックな感じがしますね。
主を幾度も変えた華歆
そんな華キンは主君を何度も変えた人物の一人です。その経歴は何進に始まり、袁術から孫策、孫策のあとを継いだ孫権、そこから曹操に招集され、曹丕、曹叡と代替わりしました。
並べて見ると人物の数は多いですが、孫策から孫権、曹操から曹丕、曹叡は代替わりした際のものですから不義理や裏切りではありません。むしろ常に公平、相手を傷つけるような振る舞いや言動はしない人でありました。
陳寿の評価
そんな華キンは三国志の著者である陳寿から、純潔で徳性を備えた人物と評価されています。華キンの有名なエピソードも、その徳性を良く表したもの……ですが。そのエピソードがちょっと気にかかる部分があるのです。それについても次に紹介していきましょう。
西京の乱にて
華キンの孫にあたる人物が譜叙……先祖の系譜を述べた文のまとめで西京の乱のエピソードを記しています。それによると董卓の長安遷都の際に華キンたちは脱出するのですが、その時に途中から一人の男性が逃げる仲間に入れてくれと言ってきます。
華キンは一人反対しますが、仲間たちは見捨てられないと同行させました。しかし道中でこの男性が井戸に落ちると、足手まといになると思ったのか仲間たちは見捨てようとします。そこで華キンは「一度助けたのに見捨てるのか」と彼を助けました。この話を聞いた人々は華キンの徳性を評価したと言います。
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