三国時代には数々の猛将、名将たちが現れたことでも有名です。
その中で武勇に優れると言われるとどんな武将が思いつくでしょうか?
関羽?呂布?……いや、やはりここは、と言われてしまうのではないかと思う武将、それこそが張遼。今回はそんな張遼の凄さを、逸話を交えて紹介していきますので、呉王様は今のうちに避難して下さいね!
張遼という人物
姓は張、名は遼、そして字は文遠。并州出身で若い頃に郡吏となった張遼でしたが、武力が「常人を越えている」とのことでその頃、并州刺史をしていた丁原から従事に採り立てられました。
この張遼は中々に経歴が凄く、丁原を初めとして何進、董卓、呂布と何度も主が変わっています。こうなると裏切り者のようなイメージを抱かれることが多いのですが、張遼にはそんなイメージは殆どなく、むしろ清廉なイメージを持たれていることが多いですね。
数々の戦いに出陣
さて張遼の経歴ですが、不思議なことに張遼は仕えていた主を滅ぼした人物に気に入られることが多く、請われて次の主に仕えることを繰り返してきました。
そして最終的に呂布を滅ぼした曹操の元へ、ここで張遼は生涯に仕える主を見つけることになります。
そんな張遼は下ヒの戦い、官渡の戦い、赤壁の戦い……そして彼の名を轟かせることになった合肥の戦いと、多くの戦いに参戦して手柄を立てていくことになるのです。
合肥の鬼神
ではその合肥の戦いで張遼はどんなことをしたのか。
簡単に言うと、「三国無双」を成し遂げたのです。
その逸話を箇条書きでご紹介しましょう。
・10万とも言われる呉の大軍に、7~800騎程度で突入。
・そのまま孫権の本陣に切り込み、陳武を討取り、徐盛を負傷、大将旗を奪う。
・何重にも包囲されるが軽々突破。
・包囲を突破したが孤立した兵が出て助けを求められる、そして包囲の中に再突入して救出成功。
・そのまま半日近く戦い続ける、この辺から意味が分からない。
・孫権は後退、結果、7000の兵で合肥死守を達成。
・その後孫権を追撃、甘寧、呂蒙、凌統などの名だたる将と戦いながら、孫権に肉薄。
こうして見ると、何が書かれているのか意味が分からない凄さですね、張遼。
張遼の逸話のポイント
「まあ三国志演義だから話を盛ってるんでしょ?」
と言われるかもしれませんが、ご存知の方はご存知、知っていてもちょっと脳が混乱してしまうこの逸話、なんと魏書、そして敵であるはずの呉書にまでこの話が載っているのです。つまり正史に載っている記述であり、正にこれこそ真の三国無双とも言える活躍を正史でやってしまっている人物なのです。
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