赤兎馬(汗血馬)は西域産?それとも南蛮産?赤兎馬の産地考察

2020年11月10日


 

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赤兎馬が大好きな呂布

 

三国志に出てくる伝説の名馬、赤兎馬(せきとば)。こちらも猛将で名高い呂布(りょふ)の愛馬として有名であり、呂布亡き後は関羽(かんう)に譲られたとも言われ、名将たちを乗せて千里(せんり)を駆けたとされる名馬中の名馬。

 

お酒 三国志 曹操

 

今回はそんな名馬赤兎馬についてちょっとお話しましょう。よろしければタイトルにもあるように焼酎、赤兎馬を片手にお聞きくださいませ。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志演義では西からやってきた馬

三国志演義_書類

 

まず三国志演義の方のお話をしましょう。

 

汗血馬を手に入れる李広利

 

三国志演義ではこの赤兎馬は西との交易で手に入れた、汗血馬(かんけつば
)
という別名でも呼ばれている馬です。

 

赤兎馬

 

名前の由来のように血のような赤い汗を流すとも言われ、またその毛並みが赤く、兎のように良くは知ることから「赤兎馬」と呼ばれるとも言われて名付けられたとされています。

 

赤兎馬を可愛がる董卓

 

この名馬は当時の支配者でもあった董卓(とうたく)に名馬として献上されました。

 

関連記事:【失敗は許されない】李広利が汗血馬を手に入れた経緯を徹底紹介

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呂布に贈られ、関羽に贈られ

李儒

 

この赤兎馬、董卓に反発する丁原(ていげん)の養子であった呂布を取り込むべく、李儒(りじゅ
)
の策によって呂布の下に贈られます。

 

呂布に殺害される丁原(ていげん)

 

名馬を贈られた呂布は丁原を殺害して、董卓に仕えるようになりました。

 

曹操から赤兎馬をプレゼントされる関羽

 

その後は呂布を討った曹操から関羽に贈られ、その後は関羽の愛馬となります。

 

関羽に見惚れる赤兎馬

 

この後に関羽を捕らえた褒美として馬忠に贈られるも、赤兎馬は餌を食べずに亡くなったと言われています。ただし馬の寿命からすると色々と疑問が残るので、これはあくまで三国志演義での創作とも言われていますね。

 

南蛮は赤兎馬の産地だった……?

父・関羽とともに亡くなる関平

 

ともあれ関羽亡き後には誰もその背に乗せずに歴史から姿を消した……みたいに描かれているにも関わらず、三国志演義ではもう一度赤兎馬が出てきます。

 

関興と張苞

 

そう!父親である関羽の仇を討とうと奮戦する息子・関興(かんこう
)
をその背に乗せた赤兎馬が……!

 

孟獲とラブラブな祝融

 

ではなく、南蛮王の孟獲(もうかく)祝融夫人(しゅくゆう ふじん
)
を乗せて。そして特に触れられないままこの赤兎馬は姿を消します。どうしてここで赤兎馬が出てきたのかは筆者も良く分からないので知識者の方がおりましたら考察を聞かせて頂くと幸いです(よろしくお願いします)。

 

関連記事:祝融とはどんな人?赤兎馬を乗りこなす女戦士は夫よりも強かった?

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実在した赤兎馬

赤兎馬と呂布

 

と、ちょっと話がそれましたがこれが三国志演義の赤兎馬です。この印象から三国志演義の創作の馬であると勘違いされることがありますが、実際に赤兎馬と呼ばれる馬はきちんと歴史に記されています。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

例えば後漢書では「呂布は良い馬に乗っている。名前は赤兎。良く走って堀も飛び越える」と書かれており、三国志の呂布伝では「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」とまで賞されたと記されているのです。驚くことに「千里を駆けた」と言われる赤兎馬、実在したのですね。

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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