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この記事の目次
三国志演義の孟獲
三国志演義の孟獲は最初から南蛮の王として登場します。もちろん異民族設定です。
最初の登場は、蜀の後主劉禅の即位後に、司馬懿の進言を受けた曹丕が五つの街道を使い50万の大軍で蜀を攻める作戦を立てた時でした。
孟獲は司馬懿の計略に便乗して南蛮から10万の大軍で攻めますが、諸葛亮が魏延に擬兵の計を授けて対抗します。
これは、左側から敵が攻めると逆に右側を攻め、右から敵が攻めると左側を攻めるという作戦で、これに引っ掛かった南蛮軍は混乱して退散しました。
その後、孟獲は本拠地を追われますが、妻の祝融夫人の弟の帯来洞主の人脈のお陰で、各地の反蜀勢力と共闘、朶思大王、木鹿大王、兀突骨等が諸葛亮に襲い掛かる大戦争になります。
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孟獲が逃げ回った理由
もし孟獲が一度の戦いで滅んでいれば、諸葛亮は朶思大王や木鹿大王を倒すのに、別の大義名分を得る必要が出てきて、物語のテンポは悪くなったでしょう。孟獲は、封神演義の聞仲のように南蛮各地からビックリ人間を集めてくる箒のような役割を果たす事になりました。
しかし、それらの助っ人は全て諸葛亮に滅ぼされ、孟獲は仲間に見放されるに至っていよいよ観念し、蜀の軍門に降りました。
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三国志ライターkawausoの独り言
孟獲は史実と三国志演義で、随分違った性格になっている人物です。
史実の孟獲は、反乱の首領・雍闓が死ぬと自軍の不利を見抜き諸葛亮の軍門に降り、蜀の南中経営に手を貸す忠臣の扱いであるのに対し、三国志演義の孟獲は、ずるく見栄っ張り、かつ冷酷な性格で部下に人望がまったくなく、知略らしきものは諸葛亮に寝返った部下を始末する嘘程度のもので、諸葛亮の完全な引き立て役になっています。
しかし、演義の孟獲は徹底したコミカル化のお陰でキャラが立ってしまい、史実の孟獲を喰ってしまう存在になりました。
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