『新解釈・三國志』皆さんは、もう御覧になられましたか。一部で楽屋オチ的な部分を酷評されつつも、ファンの心を掴み、12月2週目の国内映画ランキングでは、劇場版鬼滅の刃無限列車編に次いで2位でした。
このように面白いというコメントが多い『新解釈・三國志』ですが映画の尺の関係で省略された歴史的説明もあり三国志ビギナーは疑問符が浮かぶ事が多かったようです。
そこで今回は、孫権の父親の孫堅って、なんで読み方が同じなのか。世襲だったりするの?という疑問についてお答えしましょう。
この記事の目次
孫堅と孫権の読み方が同じの理由はズバリ!
では、孫堅と孫権の名前の読み方が同じ理由についてお答えしましょう。
それはズバリ!堅いを意味する「ケン」と権利を意味する「ケン」の読み方が日本では、たまたま同じ発音だったというだけです。
もちろん中国語では、2人の名前の発音は違い、
孫堅は、Sūn Jiān(スン→・ジエン→)
孫権は、Sūn Quán(スン→・チュエン↑)
と、アクセントが違うので、中国人が2人の名前を聞き間違う事はないようです。
ちなみに三国志ファンの間では、父の孫堅は堅いソンケン、息子の孫権は柔らかいソンケンと読んで区別したり、パパ孫堅と言う意味で堅パパと読んだりしますよ。さて、疑問が解決した所で、ここからは三国志の名前にまつわる話をします。
父や偉い人の諱は使ってはいけない
中国を含む東アジアの漢字文化圏には、諱というモノがあります。諱は忌み名に通じていて、肉親や親しい人以外が呼ぶと失礼にあたるとされるものです。例えば、劉備の場合には、備が諱であり、目下のものや親しくない人間が、劉備!劉備と呼ぶと大変な事になります。
「なに、人の諱を気安く呼んどんのじゃい!しばくぞゴルァ」と三国志の時代の中国語でキレられるでしょう。
もちろん、劉備玄徳という呼び方もダメです。では、親しくない人はどう呼んだらいいのか?
その場合には、字である玄徳殿、あるいは劉玄徳殿が正しい呼び方で、なんらかの肩書が存在するなら、姓の後に肩書をつけるのがフォーマルです。
例えば、劉備は豫洲牧だった時代があるので劉豫洲とか、左将軍の称号を受けていたので、劉将軍とか呼んだりします。特に、この諱が皇帝の諱だと影響力が絶大でした。
例えば、孔明のライバルの司馬懿は「懿」が諱ですが、彼の孫が建国した晋帝国では懿を避諱として普段の言葉だけでなく、文書でも使えないようにし、同じ懿の漢字が名前に入っている人は漢字を改めるか、文字の一部を敢えて欠けさせる欠字の措置を取っています。
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司馬懿のせいで諱が変わった人
司馬懿の諱のせいで名前が変わった人物には呉懿がいます。彼は、劉備が蜀を奪取してから配下に加わりますが、正史三国志は司馬懿の孫が建国した西晋の時代の人物である陳寿が書いているので、呉懿は呉壱と改名されて記述されています。
晋が滅亡すると懿は避ける必要がなくなり、呉壱は呉懿に戻りますが、死んでから勝手に諱を変えられた呉懿は複雑な気分だったでしょう。
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つまり、子が父と同じ諱はアリエナイ
さて、冒頭の孫堅と孫権の名前に戻りますが堅や権は諱ですから、当然孫権は諱に堅を使う事は出来ない事になります。孫権ばかりではなく、息子達にも堅の諱を持つ人はいません。発音が同じなのはいいですが漢字が同じなのはダメ、これを意識して、三国志に登場する親子の名前を見てみると面白いですよ。
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