
光武帝こと劉秀、中国史で名君の名を挙げようと言えば出てくる名前です。その経歴を見ていくとどれだけ凄いか目を見張る存在、それが光武帝。
しかしそんな光武帝ですが、いまひとつどこか騒がれないというか……マイナーに感じてしまう今日この頃。そこで今回は光武帝がどうして騒がれないのか、について考察してみたいと思います。
この記事の目次
光武帝は劉発の末裔の一人
光武帝は景帝の七男で長沙王となった劉発の末裔です。これをパッと見ると皇族の一員、と思ってしまうかもしれませんが、光武帝はそこまで恵まれた家系ではありません。
末裔と呼ばれる人間はまだ他にもいるため、あくまで地方の一貴族の一人、家族もそれほど裕福ではなく、また光武帝自体が三男ということもあり、若い頃は周囲から見ても目立たない存在でした。皇族のあくまで一人、それほど注目されていない存在……それが光武帝こと、劉秀でした。
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目覚めた猛将
この頃、漢王朝は王莽によってその皇位を簒奪され、各地で反乱が起きていました。劉秀は兄と共に反乱の狼煙を挙げます。
これらの反乱軍を鎮圧させるべく、王莽も数十万の軍を向かわせます。絶体絶命かと思いきや、この王莽軍に劉秀は数千で突撃、完全勝利。ここから光武帝の栄光の道が開いていく……かと思いきや……。
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兄の死〜劉秀が皇帝になるまで
皇帝となったのは兄でも劉秀でもなく、同じ劉氏の劉玄。更始帝となった劉玄は兄を謀殺、劉秀もピンチに。この窮地を逃れた劉秀は僅かな手勢を率いて河北の地へと派遣させられました。ここで劉秀は勢力を拡大、一年ほどで華北の大部分を手に入れて独立。
それから間もなく、光武帝として即位しました。数々の苦難を乗り越えたとはいえ、スピード出世で皇帝に即位。正に光に導かれたかの如く、皇帝になった人物です。
光武帝の知名度
そんな光武帝ですが、いまひとつマイナーというか、注目されていない存在な気がしました。三国志ファンでもそこまで光武帝については(時代の違いもあるかもですが)語らない。下手をすると「良く知らないけど金印をくれた人」……くらいしか知られていない、三国志に比べると些か注目されていない光武帝。その理由について、稚拙ながら考察してみました。
光武帝がマイナーな理由は1:強すぎた存在
前述したように、光武帝は即位するまでが早く、そしてそれからさほど時間をかけず中国を統一しました。決して全てが光武帝の味方だった訳ではありません。しかし光武帝は余りに強い、強すぎた。
強すぎる敵には下手に刃向かうよりも降伏、もしくは帰順した方がマシです。抵抗して滅ぼされるよりも、光武帝の下で働くことができる方が良いですからね。
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光武帝がマイナーな理由は2:敵がいないということ
抵抗する場合、いくつか理由があります。その最たるものが「不俱戴天」でしょう。例えば身内が殺されたりしている相手、仇の場合は相手に降伏する、帰順することはできません。そんなことは自らの血と誇りにかけてできないのです。
しかし光武帝の場合、そういった敵が殆どおらず、対立する相手がいなかったからこそ天下統一までが早かったのだと思います。つまり言ってしまうと物語として主人公の苦難や困難にぶち当たることが少ない……あまり講談などにはしにくく、そのためあまり注目されていないのでは、と思います。
そしてこの「敵がいなかった」ことこそが、光武帝が注目されていない理由の一つだと思うのです。
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光武帝がマイナーな理由は3:競い合う相手がいない
例えば、項羽と劉邦。
英雄には、敵がいます。それこそ同じくらい強大な相手であり、競い合う存在であり、英雄たちのぶつかり合いこそが物語としてのロマンです。では光武帝には、そんな存在はいたでしょうか?
確かに敵と言える存在はいたでしょう。しかし前述した二組のように、「物語として面白いくらいに」出来上がっている存在はいなかったのではないかと思います。余りに強かった、だから敵がいなかった、だからそれほどまでに語られることはない……そう考えてみたのですが、皆様はどう思いますか?
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三国志ライター センのひとりごと
光武帝はキャラクターとして考えると、そんなに薄い人物ではありません。むしろかなり強烈な個性を持っていると思います。しかしその強烈さと張り合えるほどのライバルが、光武帝の時代にはいなかったのではないでしょうか。
光武帝がそこまで注目されない理由は「そこ」にあるのではないかと考えてみて、そして分かったこと。それは如何に三国志における曹操と劉備が良いライバル性を持っているのだなぁという、ただひたすらの感動でした。
出来過ぎなくらい仕上がった三国志における英雄たち、だからこそこんなにも現代で愛されて語り継がれているのだと、光武帝を通して再確認してしまい、筆者はまた一歩、三国志への深みにはまることになりました。
どぼん。
参考文献:後漢書光武帝紀上 光武帝紀下 東夷列伝
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