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この記事の目次
光武帝がマイナーな理由は1:強すぎた存在
前述したように、光武帝は即位するまでが早く、そしてそれからさほど時間をかけず中国を統一しました。決して全てが光武帝の味方だった訳ではありません。しかし光武帝は余りに強い、強すぎた。
強すぎる敵には下手に刃向かうよりも降伏、もしくは帰順した方がマシです。抵抗して滅ぼされるよりも、光武帝の下で働くことができる方が良いですからね。
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光武帝がマイナーな理由は2:敵がいないということ
抵抗する場合、いくつか理由があります。その最たるものが「不俱戴天」でしょう。例えば身内が殺されたりしている相手、仇の場合は相手に降伏する、帰順することはできません。そんなことは自らの血と誇りにかけてできないのです。
しかし光武帝の場合、そういった敵が殆どおらず、対立する相手がいなかったからこそ天下統一までが早かったのだと思います。つまり言ってしまうと物語として主人公の苦難や困難にぶち当たることが少ない……あまり講談などにはしにくく、そのためあまり注目されていないのでは、と思います。
そしてこの「敵がいなかった」ことこそが、光武帝が注目されていない理由の一つだと思うのです。
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光武帝がマイナーな理由は3:競い合う相手がいない
例えば、項羽と劉邦。
英雄には、敵がいます。それこそ同じくらい強大な相手であり、競い合う存在であり、英雄たちのぶつかり合いこそが物語としてのロマンです。では光武帝には、そんな存在はいたでしょうか?
確かに敵と言える存在はいたでしょう。しかし前述した二組のように、「物語として面白いくらいに」出来上がっている存在はいなかったのではないかと思います。余りに強かった、だから敵がいなかった、だからそれほどまでに語られることはない……そう考えてみたのですが、皆様はどう思いますか?
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三国志ライター センのひとりごと
光武帝はキャラクターとして考えると、そんなに薄い人物ではありません。むしろかなり強烈な個性を持っていると思います。しかしその強烈さと張り合えるほどのライバルが、光武帝の時代にはいなかったのではないでしょうか。
光武帝がそこまで注目されない理由は「そこ」にあるのではないかと考えてみて、そして分かったこと。それは如何に三国志における曹操と劉備が良いライバル性を持っているのだなぁという、ただひたすらの感動でした。
出来過ぎなくらい仕上がった三国志における英雄たち、だからこそこんなにも現代で愛されて語り継がれているのだと、光武帝を通して再確認してしまい、筆者はまた一歩、三国志への深みにはまることになりました。
どぼん。
参考文献:後漢書光武帝紀上 光武帝紀下 東夷列伝
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