魅力的なキャラクターが多い三国志キャラの中でも人気の高い関羽ですが、なぜここまでの人気を獲得したのかご存知でしょうか?
一般的には三国志演義が元と言われていますが、演義ではすでに「関公」という尊称で呼ばれるなど別格扱いをされています。ということはそれ以前から人気があったということです。今回はどのような経緯で関羽の人気となり、さらにどんなところに魅力があるのかを紹介していきます。
徳の高さが関羽人気のポイント
関羽の魅力と言えば三国志演義のイメージでもある武力と知略を兼ね備えた強さ、義理や人情に厚い性格、非業の最期などでしょう。特に義理や人情という点ではエピソードにことを欠かない関羽。儒教では五常(仁、義、礼、智、信)の徳を積むことを善と考えられているので、関羽はその模範として信仰されています。
また、後年には上記の五常に「忠」と「勇」を加えた人物として語られるようになりました。
忠…「曹操に降るのではなく漢王朝に降る」というセリフから
義…華容道で恩義のある曹操を見逃したことから
仁…黄忠との一騎打ちで相手が落馬した際も切らずに見逃したことから
勇…荊州の領土問題を巡って魯粛のいる敵陣へ太刀だけを持って赴いたことから(単刀赴会
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信…劉備の無事が知れると千里を駆けて主君の元へ帰ったことから(五関六将破り)
礼…曹操から劉備の奥方と同じ部屋を用意されるも自身は部屋の外で警護に徹したことから
智…水攻めによって樊城と于禁の七軍を水没させたことから
関羽はイメージが好転した武将
正史の三国志を読んだことがある人なら、前述したエピソードにはツッコミを入れたくなるはず。正史において語られる関羽と演義はイメージがかけ離れていますよね。実際に唐代以前の関羽はあまりいいイメージではなかった可能性があります。
隋や唐を背景とした物語では鬼(中国語で幽霊の意味)や鬼神として登場するからです。鬼は儒教や道教によって捉え方が変わりますが、死者の魂が現世に残ったもの、悪さをする存在という意味。古代中国では祖先や神様以外にも過去の偉人や鬼を祀る習慣があり、それによって出世や繁栄、厄除けを祈願していました。
関羽は唐代に武廟が建てられてから武神(守護神)として祀られるようになりますが、その前後は厄除けのために鬼として祀られていたのかもしれません。
最も古い関帝廟
関羽は隋代には一定の人気があったようです。その証拠として最も古い関帝廟とされる「解州関帝廟」は589年に建立されたと言われています。建立当初の様子や信仰の内容はわからないので、前述したように鬼として祀られた可能性もあります。
いずれにせよ信仰する場所である「廟」が建てられたということは、一定の人数が関羽を崇めていたということです。この関帝廟は宋代と清代に改修工事が行われ拡大された結果、現在では世界最大の関帝廟として知られています。
為政者による関羽人気の利用
関羽の人気は民間信仰の拡大や各宗教における神格化、三国志演義を始めとする読み物や説話の普及など様々な要因が挙げられますが、その中には為政者による政治的利用も含まれます。
例えば宋の徽宗皇帝は関羽を守護神として祭ることで、軍事行動における士気を高めました。
清王朝は各皇帝が関羽の諡号の格上げをしている他、関帝廟をあちこちで建て、乾隆帝に至っては歴史書を改ざんして関羽の諡を「忠義」に変えるなど様々な手法で関羽を祀り上げました。
これは関羽のような忠誠心や愛国心を持った人物になりましょうというプロパガンダであり、関羽の人気を統治に利用したということです。ただ、清が滅ぶと関羽信仰だけが残り、今のような圧倒的な人気を確立するに至りました。
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