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蜀の持った年数
もう一つは、姜維の北伐に関してです。姜維が北伐に執念を燃やしている中で、蜀の内部は疎かになっていき、そうして黄皓のような人物が台頭しました。そして黄皓の専横が始まったと言われる時から、17年ほどの月日が流れています。
逆に言うとそれだけの年月、蜀の国が国のままで保たれているのです。これ全てが黄皓の手腕ということはないでしょうが、国としての体を保てるほどの能力はあったことでしょう。
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黄皓についての記録
そして最後に、専横、についてです。黄皓の評判は悪く、蜀に来た鄧艾は黄皓を殺すつもりでしたが、そこは悪臣代表。おそらく私腹を肥やしていた金銀財宝をばらまいての見事な逃走を図り、成功しました。
この私腹を肥やしていた金銀財宝、何をやっていたかの記録はありません。そんな周囲にバレないように悪いことをするだけの才能は黄皓にはあったということでしょう。なので黄皓は決して正義ではないものの、無能と言い切れるだけの能力者ではなかったと思います。
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まぁとは言ってもね?
しかしまぁ黄皓、どこか受け付けないのが正直なところです。その理由の一つとして、何よりも黄皓は最後に逃走しています。
逆を言えばここで劉禅の身柄を護ろうと奮戦したのであれば少しは見る目が違ったのですが……言い訳もしようもない敵前逃亡、主君を置いての。こういうラストが個人的に三国志大好き!って人たちには受け付けない面があるんじゃないかなーと思った筆者でした。
三国志ライター センのひとりごと
黄皓は、見直しても見直してもフォローがしようがない人物でもあります。そのフォローのしようのなさがどこから来たかと言うと、やはり最期だと思います。
そういう面ではやはり三国志演義でのラスト、すっきりと黄皓への高められた怒りを昇華してくれて上手くまとめられているな、と思いますね。
ちゃぷり。
参考文献:蜀書黄皓伝
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