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敵を味方につける曹操の合理的人材登用

2021年7月21日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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張郃

張コウ 張郃

 

冀州出身の張郃(ちょうこう)は猛将として知られ、元々冀州刺史の韓馥(かんふく)、ついで袁紹に仕えました。袁紹の下で張は将軍となりますが、袁紹の軍師の一人であった郭図(かくと)とは折り合いがよくありませんでした。

 

手柄を立てる張コウ(張郃)

 

官渡の戦いの時、曹操の奇襲によって袁紹軍の兵糧が焼かれたことを知った郭図は兵糧が尽きる前に曹操本陣を攻め落とすべく総攻撃を主張しますが、現場指揮官の張は守りの固い曹操本陣を落とすのは不可能であり、撤退を主張します。

 

結果的に袁紹は郭図の策を採用し、張に総攻撃を命じます。果たして、張の読み通り曹操本陣は落ちず、焦った郭図は袁紹に対し、「張は自分の策が採用されなかった腹いせに、総攻撃が失敗したことを喜んでいる」と讒言します。

 

曹操に仕える張コウ(張郃)

 

これを聞いた張は郭図とその讒言を真に受ける袁紹に失望し、曹操に降伏してしまいます。

 

張コウ(張郃)が曹操軍配下に加わり喜ぶ曹操

 

の降伏を知った曹操は、張の降伏を(いん)微子啓(びしけい)や漢の韓信(かんしん)にたとえて激賞しています。この後、張郃は常に曹操軍の先鋒を務め、その勇猛さで天下に名を知られた存在となります。

 

ゾンビのように何度も蘇る張コウ(張郃)

 

曹操曹丕曹叡(そうえい)の三代にわたって仕え、息の長い活躍をみせます。

 

水路を断たれ残念がる馬謖

 

特に、228年に始まった蜀の北伐では、蜀の馬謖(ばしょく)の戦術上の誤りを見抜いて蜀軍を大敗させ、諸葛亮(しょかつりょう)の北伐を失敗に追い込んでいます。

 

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三国志ライターAlst49の独り言

Alst49さん 三国志ライター

 

いかがだったでしょうか。こうしてみると、曹操やその後の魏に仕えた武将たちの多くは、かつて曹操の敵だった者たちが多いことが分かります。

 

郭嘉と曹操は意気投合

 

さらに驚くべきは、一度は曹操に敵対した彼らは、曹操の配下になったのちには曹操や魏王朝に絶対的な忠誠を尽くしており、誰一人裏切っていない点です。

 

北方謙三 ハードボイルドな曹操

 

これは、曹操が敵であっても才能があれば厚遇するという態度を貫いたのみならず、曹操という人物のもつ魅力のなせる業ではないでしょうか。

 

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曹操孟徳

 

 

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Alst49

大学院で西洋古代史を研究しています。中学1年生で横山光輝『三国志』と塩野七生『ローマ人の物語』に出会ったことが歴史研究の道に進むきっかけとなりました。専門とする地域は洋の東西で異なりますが、古代史のロマンに取りつかれた一人です。 好きな歴史人物: アウグストゥス、張遼 何か一言: ライターとしてまだ駆け出しですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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