後漢末の群雄たちを蹴散らし、一代で中国大陸の半分を制圧した英傑・曹操。
そんな曹操の覇業を支えたのは優れた家臣でした。しかし、曹操の家臣たちを詳細に見てみると、なんとその多くが一度は曹操と敵対した者たちだということが分かります。
そこで、今回の記事では、そんな曹操の敵さえも才能があれば味方につける、という合理的人材登用について見ていきたいと思います。
この記事の目次
曹操の覇業を支えた優秀な人材たち
一代で大勢力を築いた英傑・曹操ですが、彼の覇業は到底一人では成し遂げられるものではありませんでした。
曹操があれだけの功績を挙げた背景には、間違いなく曹操を支えた優秀な家臣たちの存在があったのです。
曹操が189年に挙兵した際、つき従う者たちは曹洪・曹仁・夏侯惇・夏侯淵ら一族の者たちだけだったといいます。そこから曹操が天下にその名を轟かせていく上では、優秀な人材を登用することが不可欠でした。
曹操は「才能を愛する」人物であったとよく言われていますが、その他人の才能への惚れ込みようは尋常ではありませんでした。曹操はしばしば、才能に惚れ込むあまり、敵だったはずの人物をも次々と自陣営に加えていきました。
今回は曹操が、そんな敵対していた者たちの中から登用した優秀な家臣たちについて見ていきたいと思います。
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張遼
曹操陣営の重鎮の一角ともいえる張遼は曹操・曹丕の二代に仕え、呉の孫権の北上を食い止め続けた名将です。しかし張遼は元々、曹操の宿敵ともいえる呂布の部下でした。
曹操が呂布を捕らえた時、毅然とした態度を貫いた張遼に感服した曹操は張遼を即座に昇進させて配下に加え、以降張遼は曹操陣営で際立った活躍をみせることになります。
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臧覇
張遼と同じく呂布討伐後に加わったのは臧覇でした。
臧覇は元々徐州の陶謙の部下でしたが、陶謙の死後に琅邪郡で独立勢力を築き、呂布と協力して曹操と敵対していました。
曹操は呂布の死後に臧覇を捕らえますが、その人柄に惚れ込んだ曹操は臧覇を解放したばかりではなく、実質的に徐州・青州の2州の統治を委任するほど厚遇しています。
その後、臧覇は曹操の期待に応えて2州を良く治め、曹操に全幅の忠誠を尽くし、曹丕の代となっても重用され続けました。
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朱霊
後に華北の覇権を争う袁紹と曹操は初め協力関係にあり、曹操が徐州の陶謙を攻めた時、袁紹は曹操に援軍を送りましたが、その将が朱霊でした。
朱霊は曹操の人柄と才能に惚れ込み、袁紹のもとに戻らずにそのまま曹操の家臣になってしまいます。官渡の戦いの後、冀州を征服した曹操は朱霊に冀州兵を任せ、涼州征伐や漢中征伐など、数々の戦いで朱霊は活躍をみせることになります。
その後、曹丕の時代になっても朱霊は厚遇され、長年の功績に対し、自分の望みのままの封地を与えられるという最大限の報奨を受けています。
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