曹操は賈逵に暗殺された?曹操の葬儀を主宰した司馬懿の謎に迫る

2021年7月31日

編集体制の詳細を見る
kawauso編集長(石原 昌光)

編集責任者

kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

提供する掲載情報について

『はじめての三国志』は、複数の企業と提携し情報を提供しており、当メディアを経由して商品への申込みがあった場合には、各企業から支払いを受け取ることがあります。

ただし、当メディア内での商品評価に関して、提携の有無や支払いの有無が影響を及ぼすことはありません。また、当メディアで得た収益は、読者の皆様により役立つコンテンツ制作へ還元し、情報の正確性担保に努めています。

詳しくは 編集ポリシー をご覧ください。


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

死期を悟る曹操

 

西暦220年正月、漢中を巡る劉備との戦いに敗れて帰還した曹操は病に倒れ65年の波瀾(はらん)の生涯を閉じました。

 

曹操と曹丕

 

そして曹操の後継者は曹丕(そうひ)なので曹操の葬儀は当然曹丕が執り行ったのかと思いきや、実は曹操の葬儀を主宰(しゅさい)したのは司馬懿(しばい)でした。

 

司馬懿

 

一体どうしてこんな奇妙な事が発生したのでしょうか?

 

葬儀を主宰するのは後継者

 

儒教圏においては、葬儀を主宰するのは死者の後継者です。そして葬儀を立派に取り仕切る事が後継者としての目に見える正当性でした。しかし、曹丕は立派に成人しているにもかかわらず自ら曹操の葬儀を執り行わずに司馬懿に任せているのです。

 

北方謙三風ハードボイルドな曹丕

 

一説では司馬氏が儒教の典礼に詳しいので、賈逵(かき)が司馬懿に命じてそうさせたと言われていますが、本当にそうなのでしょうか? その頃、曹丕は鄴(ぎょう)にいて洛陽からは距離があったのは事実ですが自ら洛陽に出向き、曹操の葬儀をする時間さえなかったのか疑問です。

 

関連記事:曹彰(そうしょう)が曹操の後継者に選ばれる確率を求めてみた

関連記事:【曹操死す】卞皇后の一番辛くて長い日々

 

曹操の臨終前、曹彰は呼ばれていた

頭痛に悩む曹操

 

ここに興味深い事実があります。曹操が洛陽で重体に陥った時、曹操は長安にいた曹彰(そうしょう)を早馬で呼びつけています。臨終(りんじゅう)を前にして、曹操の下に呼びつけられるのですからただ事ではありません。しかし、曹彰は間に合わず曹操は死去してしまいました。

 

曹彰

 

ただ、曹彰は諦めきれません。臨終間際に父が自分を呼びつけるからには、自分に王位を譲るつもりだったのだと考え、洛陽で賈逵に璽綬(じじゅ)の在処を尋ねます。賈逵は冷静にあらたまり

賈逵(かき)

 

「すでに太子は鄴にいて、後継者は定まっています。先王の璽綬がどこにあるか、あなたが知る所ではありません」と突き放しました。その後、曹彰は任城王(じんじょうおう)に昇格しますが、王位を狙う者として曹丕にうとまれ毒殺されたという噂もあります。

 

関連記事:賈充の父・賈逵は息子と違い軍事に優れた人物だった!?

関連記事:晋の忠臣・賈充と対立していた対呉総司令官との意外な関係性

 

曹操孟徳

 

曹操は賈逵や司馬懿に暗殺されたのではないか?

曹操頭痛

 

史書では曹彰が大それた野心を抱いたかのような描き方ですがkawausoはもしかして曹操が心変わりしたのではないかと考えます。いざ、死を間際にした時、曹操が冷静な判断力を持っていたとは言い切れません。死因は脳腫瘍とも言われ、激しい片頭痛があった曹操が錯乱し曹丕を廃して長安の曹彰に自分の葬儀を司れと言った可能性はゼロではなさそうです。

 

そうでないなら、曹彰が賈逵に向かって曹操の璽綬の在処(ありか)を問う事は無いでしょう。

「父は私に葬儀を執り行えと言ったのだ。魏王の璽はどこにある?」

 

それくらい質問しても不思議はありません。

 

北方謙三 ハードボイルドな司馬懿

 

しかし、賈逵や司馬懿は曹操が血迷った事を知っていました。同時に、もし曹彰に葬儀をさせれば曹丕派である自分達の破滅は確実です。こうして2人は意図的に曹操を殺害し、曹彰に会わせないようにしました。

 

関連記事:助けて、董承!献帝依頼の曹操暗殺計画とは?

関連記事:やる気あんのか!?董承のペラペラ曹操暗殺計画

 

殺人の証拠を見せない為に司馬懿が葬儀をした

曹操のお墓(曹操高陵)

 

しかし、問題は葬儀を曹丕に執り行わせると暗殺の証拠が出てしまう恐れがある事です。もし毒ではなく、曹操を絞殺したり身体に傷を負わせたなら、肉体がかなり腐乱しない限り、不自然な傷がある事が分かってしまうかも知れません。

 

司馬懿

 

そこで、賈逵は司馬懿が儒教の典礼に詳しい事を理由に、洛陽で司馬懿に曹操の葬儀を執り行わせ、曹操の遺体を柩(ひつぎ)に移して鄴までの護送の任務に当たったのです。一度柩に入れて陵に安置すれば、入り口は盗掘防止の為に塞がれ二度と柩が開けられる事はありません。

 

こうして、賈逵と司馬懿は曹操殺害の証拠を抹消する事に成功したのです。かくして曹操の後継者でもない司馬懿が曹操の葬儀を主宰する奇妙な出来事の辻褄(つじつま)はあってしまいました。

 

関連記事:関羽が華容道で曹操を斬ると劉備は滅亡していた?

関連記事:今日のkawauso11「曹操は毒矢で死んだ?」

 

英雄の墓

大乱を防ぐにはこうするしかなかった

疫病が蔓延している村と民人

 

魏略によると、曹操が死んだ頃、魏では人民が労役で苦しみ同時に疫病も流行して、兵士も変事を察知して動揺していたそうです。

 

この状況で、曹操の死を発表すると混乱に拍車をかけると群臣(ぐんしん)は曹操の死の公表を控えようとしますが、賈逵は隠せば余計に動揺が広がると考え、曹操の死を公表しました。

 

皇帝に就任した曹丕

 

このような記述がどこまで本当かは分かりませんが、曹丕は薄々、曹操の死に不穏なモノを感じながらも自分が受益者になった事には変わりないので、賈逵と司馬懿を追及しないで済ませたのかも知れません。そして、葬儀の後に曹丕がやった事は自分以外の曹操の子供達をそれぞれの国に帰し監国謁者(かんこくえっしゃ)という監視をつける事でした。

 

関連記事:曹丕は陰湿な性格じゃない!実は優しくて兄弟想いの皇帝だった

関連記事:曹丕はけっこうグルメだった!?蜀の食文化にも食いつく!

 

英雄の死因

 

秘密を共有し出世していく賈逵と司馬懿

悪巧みを考える賈充

 

そして曹丕は自分の帝位を揺るぎないものにした賈逵と司馬懿を厚遇し、2人は累進していき、司馬懿の孫の司馬炎は晋王朝を建国し、賈逵の子の賈充(かじゅう)は晋朝で重臣となりました。

 

部下を使い皇帝を殺させて大出世した賈充

 

この背景に、曹操を暗殺した当事者という共通点があるとしたらどうでしょうか?

 

曹髦の暗殺許可を出す賈充

 

賈充は司馬昭の為に部下の成済を使い皇帝曹髦(そうぼう)を刺殺させますが、この時に(父とて武帝を殺したのだ!我ら父子は大逆人よ)と腹をくくったとしたら、恐ろしくも面白い因縁になりますね。

 

関連記事:賈充こそ本当は董卓や李儒レベルの悪人?歯切れの悪すぎる「曹髦事件」と「成済事件」をまとめてみた

関連記事:苛烈な悪妻・賈南風はどうやって権力を握ったの?晋の皇后誕生秘話

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

曹操が臨終の間際に血迷い曹丕を廃して曹彰に葬儀を執り行うように命じ、身の破滅を恐れた賈逵と司馬懿が、曹操を殺害して曹彰の台頭を阻止した。にわかには信じられないミステリーですが、そう考えてしまう程に曹操の葬儀を司馬懿が主催したのは異様な感じがします。

 

司馬師と司馬懿

 

本当は内乱を恐れて、さっさと葬儀を済ませて鄴に帰還しただけかも知れませんが、その後、本当に司馬懿が魏の後継政権の礎になったのを見ると、全くアリエナイとは言えないのではないでしょうか?

 

参考文献:晋書 高祖宣帝懿紀 正史三国志

 

関連記事:司馬懿の「野心家」イメージはどこから生まれた?

関連記事:司馬懿の息子は司馬師・司馬昭以外どうして変人・悪人バカだらけなの?

 

『伝説の企画 朝まで三国志 最強のワルは誰だ』

朝まで三国志1

 

 

はじめての三国志を、もっと読みたい方へ
Google検索であなたの優先ソースに登録しておくと、はじ三の記事が上位に出やすくなります。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso編集長

kawauso編集長

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

-曹操
-, , ,