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曹操の采配
ですがそこまで批判されて尚、曹操は郭嘉を咎めることはなく、郭嘉も郭嘉で態度を全く改めることはないままであったとも言います。
こういうと陳羣の意見が取り入れられていないように見えますが、そこは曹操。陳羣の行動が公正、公平を重んじる誠実なものであると評価し、陳羣も陳羣でしっかりと目に止めて評価していました。実際に陳羣も魏においてかなり出世しています。
繰り返しますが郭嘉の性格と素行は死ぬまで治りませんでしたとさ。
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曹操の評価
さてここでこの曹操の采配を見直してみましょう。郭嘉の態度とオチを見るに、郭嘉は行動を改めないまま、つまり曹操は郭嘉の行動を改めさせるように強制はしていなかったものと思われます。
しかしその一方で陳羣の行動が公正である、誠実であると評価した所を見ると、事実、郭嘉の行動は曹操から見ても良い行いではなかったのでしょう。
また曹操はかつて陳羣の上奏を聞き入れずに重用した人物が処刑されるようになった事態が起こった際には、陳羣の言う通りだったと反省したこともあります。
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他者との一線を画す人物
つまり、曹操にとって郭嘉はそれほど重要であり、良く働いていた人物であったとも思うのです。現に陳羣の上奏で素行が悪い者たちを重用して、最終的には処刑の判断を下したように、曹操は気に入った人物を重用もしますが、時にはきっちりとした判断も下せる人物です。
つまり度々上奏されるほど素行不良であっても、それ以上の働きで曹操に応えていたのが郭嘉、ということでしょう。陳羣の意見は正しいという判断をしながら、その一方で郭嘉も重用した、これこそが曹操における郭嘉の評価。
それほどの才能と働きを持っていた人物。正に他者との一線を画す人物……それこそが、郭奉孝であった……そう考えると、やっぱり郭嘉って凄いですね。
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三国志ライター センのひとりごと
改めて見直してみると、曹操は高く高く、郭嘉を評価していたことが分かります。そして郭嘉もまた、その評価に十分に答えていたとも思えます。だからこその赤壁での嘆きであり、もし郭嘉が生きていたら赤壁の戦いはどうなったでしょうか。
そんな「もしも」を考えてしまうのも、歴史と三国志の楽しみですね。どぼん!
参考文献:魏書武帝紀 郭嘉伝
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