さてタイトルから察して頂けていることでしょう。今回は三国志に出てくるスーパーミラクルハートキャッチドクター・華陀先生のお話です。そのエピソードの数々はもう偉業の数々と言っては良いような逸話持ちの医師で、名医、神医とまで言われた三国時代の医師ですね。
今回はそんなスーパーハイパー(中略)華陀先生のエピソードを、三国志演義含めてお話しましょう。
この記事の目次
関羽の恩人としてなじみ深い華佗
まずは三国志演義の華陀からご紹介しましょう。華陀と言えば名医、というイメージがこの当時からあったのか、かなり初期から登場します。周泰の傷の治療や孫策の傷の治療をし、かくして周泰は助かるものの後に孫策は呪いの果てに重症化し、亡くなりました。この時のイメージから呉にいる医師というイメージがありますね。
そんな華陀の最大の活躍場と言えば「名医名患者」。
毒矢を受けた関羽の患部の骨と肉を削り、この際に麻酔を使うと言ったのを関羽は拒否。結果として関羽は平気な顔でお酒を飲みながら馬良と碁を打ち、華陀はそのまま手術。関羽は華陀を名医と言い、華陀もまた関羽を名患者と言って笑って別れます。何気に一緒に碁を打っている馬良も凄いだろこれ。
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演義では曹操の頭を手術しようとして殺される
その後、華陀は頭痛が酷くなった曹操に呼ばれます。この時に華陀は「頭の中に出来物がありますから、麻酔して脳を切り開いて取り除きましょう」と現代でもびっくりの外科手術を提示、曹操は華陀は自分を殺すつもりだと怒り、投獄して殺してしまいました。
この時に筆者も大好き横山三国志では華陀が「以前、関羽将軍は腕を切り開いた時に麻酔もせずに平然としていたのに、曹操様は怖いんですか?」「頭と腕じゃ開く怖さが違うわ!!」という結構真っ当な怒りで投獄されましたが、まぁ、現代でもちょっと怖いですよね。気持ちは分かります。
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陳登の寄生虫を取り除く華佗
ではそんな華陀先生のとんでもエピソードを、華陀伝からいくつか紹介しましょう。時はたぶん赤壁の戦いよりも前のこと。広陵の陳登が鱠を食べて食中毒にかかりました。この時に華陀は「腹の中に虫がいますね」と今で言う寄生虫を見抜き、この寄生虫を吐き出させて治しました。
しかも「三年後には再発しますから良い医者を傍において下さい」とアドバイス。実に三年後、再発して陳登は亡くなりました。これは寄生虫によるアナフィラキシーを、既に理解していたかもしれません。
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産婦人科もこなす華佗
お次は曹操の部下、李通とのエピソード。ある年、李通の妻が流産しました。痛ましい話です。しかしそれからだいぶ経っても、李通の妻は重い病に苦しんでいました。華陀はそれを聞くと「お腹に子がいるからです」と言いました。李通は流産であったことを話すも、華陀は子がまだお腹にいると言い、外科手術で子を取り出して治したと言います。これはかなり驚きのエピソード、医師として産婦人科にも通じていたのでしょうか。
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患者を怒らせて病気を治す華佗
とある太守が重い病に苦しんで、華陀が赴きました。華陀はびっくりするほどの高い薬代を要求し、助かるならと払うけれど太守の診察も治療もしないまま。あまつさえ「病気は治せません!ごめんね!」と手紙を書いて逃走。怒り狂った太守は追手を差し向けようとするも息子に邪魔され、怒りのまま吐血をするとすっかり治ったと言います。
実はこれは怒らせることで血を吐き出させる治療法で、太守の息子はそれを知っていた、というオチです。しかし、華陀先生結構驚きの治療法で治しますね……。
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