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数多の才覚を持ち、天下に生まれた英雄の一人、曹操。大国、魏を作った人物ですが、そこに至るまで決して常勝無敗ではありませんでした。敗北アリ、そしてそこから立ち上がってこその英雄なのです。
と、いう訳で今回のアンケートは「曹操キラーは?」
もし曹操がいても、かの人がいれば大丈夫?
そんな人物は誰になるでしょうか?
賈詡
「曹操本人行かないと倒せないという曹操泣かせという点でいえば劉備だけど、曹操キラーで選ぶならやはり賈詡かなぁ」
「賈詡ですかね。この人が三国志で一番自分の分を解っている人だと思います」
「賈クに一票。銀英に例えるとヤン達のイゼルローン制圧を唯一見抜いてたオーベルシュタインみたく実は五指に入る策略家みたいな評価してます」
「買詡には策の巧さを感じる。策士、策に溺れるとは無縁な気がする」
引用元:はじめての三国志TV
さてさてやはりというか、今回のメンバーでは賈ク先生が多くのコメントを貰っていましたね。選ぶ策戦、選ぶ作戦、そのどれもに外れなし。曹操を苦しめた相手でありながら、曹操から信頼された人物でもあります。
飄々としているようで、実は誰よりも注意深く生きた人……そんな印象がありますね。因みに賈ク先生に迫る勢いでコメントを貰っていた人物もいますが、それは後ほど。
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徐栄
コメントがありませんでしたが、徐栄は董卓配下の猛将。その活躍はかの孫堅をあと一歩と言う所まで追い詰め、命からがら逃亡されました。その一方で、曹操と対峙した際には曹操の兵士たちを何人も打ち破り、曹操自身もこの時に危機に陥りました。
しかし曹洪の手助けで何とか逃げ延び、徐栄は曹操は簡単に討ち倒せないと深追いを避けました。何だかんだ、数多の英雄たちを追い詰め……あとちょっとで逃してしまった人物でもあります。
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周瑜
周瑜へのコメントも、今回は見受けられませんでしたね。周瑜と言えば曹操最大の敗北と言われる赤壁の戦いで、大打撃を与えた人物。とは言え、周瑜一人の活躍ではもちろんなく、数多の呉の武将たちが力を集結させたからこその成果とも言えます。
もちろん周瑜自身も曹操に負けず劣らずの名将ではありますが、曹操キラーと言われるとちょっとイメージとは違ったかもしれませんね。
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劉備
「キラーと呼ばれる程ではないが、劉備はかなりめんどくさい相手だったと思う」
引用元:はじめての三国志TV
天下に英雄は君と余だ!……とまで曹操に言わしめた、それが劉備。
何気に敗北する度に強くなって帰ってくるような、とんでもない人物です。実際に曹操と劉備が対峙したと言えるのは晩年になっての戦いですが、それまでに幾度となく曹操から劉備は生き延びたことを考えると、とにもかくにも厄介な相手だったと言えるでしょう。
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その他
さてさて、今回のアンケートで賈ク先生に負けずとも劣らずな勢いコメントを見せたのがこちら。
「張済の妻の皺氏もある意味で曹操キラーかと思います」
「鄒氏一択、艶やかな人妻や夫と別れた妻が一万人居れば魏武イチコロ」
「人妻」
「未亡人わよ!」
「宛城!炎上!」
引用元:はじめての三国志TV
他にも幾人か名前は挙げられていましたが、今回はこちらの勢いをご紹介です!
しかしギャグや笑い話ではなく、宛城で曹操は未亡人に手を出したばっかりに、曹昂、曹安民、典韋と数々の人物を失い、しかも家に帰れば怒髪天の丁夫人から離縁と、外に内にと大打撃。晩年にまでこのことを引きずっていた所を見ると、曹操自身にもかなり痛い思い出となったのでしょう。
やはり曹操キラーと言えば美女なのかな?
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三国志ライター センのつぶやき
さて最後にご紹介したいのがこちらのコメント。
「(精神的に)曹操を追いつめたという意味では袁紹ではないかと。曹操は官渡の戦いの後でさえ「河北は手強い」と言って劉表に攻撃目標を変えようとして止められていますしね」
袁紹は三国志演義などではどうしても序盤の戦いが簡略化されている影響で、どうにも強大な敵、という印象が薄いようですが、曹操の最初のライバルにして巨大な敵、と言えばやはり袁紹ですね。
逆を言えば、袁家を破ったからこそ曹操は天下に飛勇できたとも言えるのではないでしょうか。惜しい所で亡くなってしまった袁紹ですが、もう少し生きていれば最も曹操を苦しめた人物、と謳われていたかもしれませんね。
ちゃぽーん。
引用元:はじめての三国志TV
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