この記事の目次
張魯の子、張盛が仕官を断り竜虎山に入る
さてここからはちょっとまた三国志からは離れたお話。天師世家という史料によると、この張魯の三男は張盛といい、奉車都尉・散騎侍郎に任ぜられたと言います。これは曹操が張魯の子供たちを採り立てたことと一致しますが、なんと張盛、これを断ったというのです。
では断ってどうしたのか?
なんと「竜虎山に入って」道教の道を進み、五斗米道の四代目の「天師」となった……とされています。
関連記事:【はじめての水滸伝】主役級を一挙公開、これが好漢だ!
水滸伝の張天師は張盛の子孫?
ではここで水滸伝の記述に戻りましょう。水滸伝のスタートは朝廷から依頼されて「竜虎山に住む仙人・張天師」が祈祷をします。そしてこの記述は、張魯の息子の記録と一致するのです。
そう、つまり水滸伝の始まりとも言える仙人、それは張魯の子孫だったのです!
……いや、水滸伝自体は三国志演義に近い創作物でしょ?ですって?
確かにこの張天師というのは水滸伝のオリジナル仙人と言えるかもしれません。
しかし全てが全て創作ではなく、ある種の「元になった」人物とはいるものです。そしてこの張天師の元ネタこそ、張魯だったのではないでしょうか?
更に言うならばこの張天師は朝廷、国の危機に助けを求めるような人物であり、それほどの信頼を得ている人物。
そんな人として張魯がイメージされたとなると、張魯自身が実はかなり慕われていたか、もしくは彼の五斗米道が民衆に古くから好まれていたか……そんな繋がりを想定してふと面白くなった筆者でした。
関連記事:もうひとつの宗教団体、五斗米道(ごとべいどう)ってどんな宗教だったの?
関連記事:閻圃とはどんな人?張魯に適切なアドバイスをした助言者
三国志ライター センのひとりごと
事実、水滸伝には三国志、もしくはその派生作品が元ネタという人物が出てきます。例えば梁山泊には騎兵軍五虎将という「五虎将軍」を元ネタとしているような将軍たちが出てきますが、その筆頭は関勝。
彼は五虎将の筆頭で、同じく五虎将軍筆頭の関羽の子孫(自称)です。また張飛に良く似た人物も出てきます。しかし彼らは三国志演義でも人気があり、知名度が高い人物モチーフ。そんな彼らよりも先んじて出てくる存在のモチーフが張魯と言うと、何だか面白くないですか?
三国志演義では今一つ扱いが良くなかった張魯ですが、民間からは割と受け入れられていたのかもしれませんね。
ちゃぽぽぽん。
参考文献:魏書張魯伝 蜀書劉二牧伝 天師世家
関連記事:「水滸伝」林冲のモデルは張飛と蜀のとある天才軍師を混ぜていた?
関連記事:【はじめての西遊記】ウキッ!と登場、孫悟空(そんごくう)って何者?