かの呉王、孫権は兼ねてより悩んでおりました。それはどうやら自分は酒に酔うと、ちょっぴり手が付けられないかもしれないということです。他者に迷惑をかけないために、孫権は自ら酒を断ち、以後は一切の酒を飲むことはなかったと言います。という話はフィクションですが。
今回は三国志に出てくる禁酒令のお話です。残念ながら呉王様の出番はここまでですが、お付き合い下さいね。
この記事の目次
禁酒令とは?
さて禁酒令とは?ざっくり言うと、アルコールを含んだ飲料を取り締まること。販売だけでなく、輸入や輸出、時には醸造も取り締まられることがあります。つまり取り扱いの禁止ですね。
ただその取り締まり範囲は時と時代によって違い、販売時間を定めたりして対応したり、宗教によって完全に禁止されていたりと様々な禁酒令があるのです。
こちらもCHECK
-
曹操が作ったお酒『九醞春酒』の作り方は?曹操とお酒の深い関係とレシピ公開
続きを見る
禁酒令の目的
そんな禁酒令の目的は様々なものがあります。
例えば「飲酒を行うことによっておこる二次災害」と言うだけで、多くの目的が産まれます。行き過ぎた飲酒による寿命の低下、病気などの発生を抑えるため。治安の悪化、多発する暴行騒ぎなどによって禁酒が発される時もあります。
その時々で、様々な目的があって禁酒が行われるのです。
こちらもCHECK
-
権力者の重圧?酒癖の悪かった呉の孫権
続きを見る
三国志の禁酒令
では話を三国志に戻しましょう。世界各国で、時と場所を経て禁酒は行われてきました。そして三国志においても、禁酒令は発せられました。その発した人物は二人、なんと劉備と曹操です。
二人が禁酒令を発した理由は、主に食糧不足が理由とされています。基本的にお酒は米からできるので、食糧である米が不足する、それを防ぐために禁酒令を出すのですね。この二つの禁酒令の話に付いて、ちょっと見ていきましょう。
こちらもCHECK
-
蝗害とは?中国を悩ました災害があまりにも深刻。バッタを飲み込んだ皇帝も!
続きを見る
曹操の禁酒令
さて曹操は魏を建国しましたね。この時に曹操は禁酒令を出しました。一応名目としては「お酒は害がある」というものですが、実際の目的は兵糧不足を懸念してのものだったようです。
そして嘗て曹操が袁紹を破り、後に河北を平定した際に見出した逸材、徐バクという人物がいました。この徐邈、それほどお酒が好きだったのかは分かりませんが、禁酒令が出てる最中で酔っ払うほどお酒を飲んでしまっていたのです。
こちらもCHECK
-
お酒にまつわる三国志の逸話を大紹介!
続きを見る
【次のページに続きます】