魏には夏侯氏が多いですね。これはそもそも曹操が夏侯氏の血族ということもあり、このために一族が旗揚げ時から曹操を手助けし、曹魏の基盤を作り上げるために協力してくれたのだと思われます。
さてそんな曹魏のために身を尽くしてくれた夏侯氏の一人、夏侯尚。ただし晩年に起こった事件からどうにも触れにくい人物でもありますが、今回は彼にちょっと注目してみましょう。
この記事の目次
曹丕即位後の働き
夏侯尚は夏侯淵の弟の子と言われており、幼い頃から武勇にも策謀にも通じていたと言われています。曹操の時代から武功を立てて順調に出世していった夏侯尚ですが、大きな活躍としては曹丕の即位後、魏に降った孟達、そして徐晃と共に上庸を奇襲した作戦はこの夏侯尚の立案とされています。
これによって上庸、西城、房陵を手に入れ、この功から夏侯尚は征南大将軍に昇進した。
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武働き以外にもインフラ設備に貢献した夏侯尚
また夏侯尚は武働き以外にもインフラ整備などで魏に貢献しました。夏侯尚が荊州牧となり加増された際、荊州は荒廃し、乱を逃れるために住民たちは江南に移住していました。このため夏侯尚は上庸から道路を通じさせ、軍を率いて乱を鎮圧。
荊州は安定を取り戻し、異民族らや移住者を荊州に帰順させることができました。この働きもあってか、224年に夏侯尚は昌陵郷侯に改封されています。
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曹丕とも仲が良かった夏侯尚
さて夏侯尚、曹丕と仲が良かったことで有名です。若い頃から才気に溢れた夏侯尚を曹丕は気に入り、身分を超えた付き合いをしていたと言います。
幼い頃から、と言えば曹真も曹操によって曹丕と一緒に育てられたと言われていますので、その縁もあってか夏侯尚は後に曹真の妹を正室としています。曹家と夏侯家の一族としての結束を高めるための結婚ということでしょう。ここで選ばれる辺り、夏侯尚が高く評価されていたことも伝わってくるのですが……。
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夏侯尚の心の病
ある日、曹丕の元にとんでもない噂が届きます。なんと夏侯尚は愛妾ばかりを寵愛し、正室を蔑ろにしているというのです。これに激怒した曹丕は遣いを出し、その愛妾を殺させました。
しかし夏侯尚はこれで心を病んでしまったのか、埋葬された愛妾の墓を掘り返してその顔を見ようとするように。何とも言えない夏侯尚の有り様に、曹丕は尚も苦言を呈していました。
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