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衝撃チキチキバンバン!黄月英ブス説を言いふらしたのは旦那の諸葛孔明だった?

2022年9月16日


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黄月英

 

武将たちを陰で支えた人物たちは多いでしょう。それこそ、無数の配下である無名の人々も、武将たちを支えていた人物と言えます。ただ今回は、妻という立場から夫を支えた人物を紹介したいと思います。

 

黄月英と仲がいい孔明

 

その中でも紹介するのは、容姿に付いて色々な憶測を呼んでいる黄夫人(こうふじん)こと黄月英(こうげつえい)諸葛亮(しょかつりょう)の妻として名高い彼女に付いて、ちょっとお話しましょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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黄月英の本名は不明

黄月英

 

さて、黄夫人と言えば「黄月英」としての方が聞き覚えがあるでしょうか。また「黄婉貞(こうえんてい)」という名前を聞いたことがある、という人もいるかもしれません。

 

実はこれらの名前は、史書に記録されている名前ではありません。あくまで史書では黄夫人、父親が黄承彦(こうしょうげん)ですから黄家からやってきた夫人、ということになります。ただし、諸葛亮の妻であることは間違いありません。

 

黄月英と美の基準

黄月英
黄月英が当時の美の基準から外れていたという黄夫人の逸話

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全訳三国志演義

 

 

うちの不細工娘をもらってちょ!by黄承彦

黄月英

 

正史にはこんな記録があります。

 

ある日のこと、名士・黄承彦が諸葛亮の所を訪れました。

「君が妻を探していると聞いたよ。私には娘がいるんだ」

「それはそれは」

「娘は赤い髪の毛で色黒で、容貌こそ醜いが大変な才女で君とお似合いだと思う」

 

……父親が娘を紹介するにしてはちょっとどうかという話ですが、諸葛亮は容貌などは気にしないということで、黄承彦は娘を諸葛亮に嫁がせたと言います。

 

多才だった黄月英

黄月英
諸葛亮の妻・黄月英は伝説だらけのスーパーレディな件

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蜀漢の滅亡

 

 

諸葛孔明はブス専と噂が流れる

孔明と黄月英

 

そしてこの話は人々の間に広がりました。もちろん良い方向にではありません、寧ろ笑い話として広まり、詩まで出来ました。

 

孔明(こうめい)の嫁選びを真似するな」

「阿承の醜い嫁を押し付けられるぞ」

阿承とは黄承彦のことですね。

 

とりあえずこの歌が人々に広まるほど、諸葛亮の嫁取り物語はよろしくないもの、として残されてしまったというのです。

 

黄月英は不細工だった?

黄月英
諸葛亮の奥さん(黄夫人)は本当に醜女だったの?

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三国志主要戦図一覧

 

 

黄月英は当時の価値観だと美人に見えないだけ説

黄月英

 

何とも酷いエピソードに思えますが、この黄夫人については実は美人説があります。

 

・色黒で赤毛と言う当時の美の基準から外れていただけ

・賢くて美人だったからわざと不美人を装っていた

・そもそも肌色と髪色にしか触れていないから顔自体は美人だったかも

 

というようなものが主流ですね。

しかしここでもちょっと疑問が残るのです。

 

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三国志主要人物の出身地図

 

 

ブス説のみ広がり才女説が広がらない理由は?

 

馬謖の陣形に笑う張コウ

 

記録と言うのは全く事実無根ということはないでしょう。しかし唯一の黄夫人の記録と言えば、孔明の嫁選びを真似するな、の記録のみ。実は美人だった、才女だった、そういった話が、地元ですら広まっていないのです。

 

というか嫁と娘の不名誉な噂を放置するってどういうことだ?

 

……と、考えた所である考察に辿り着きました。ちょっと筆者の考えを聞いて頂きましょうか。

 

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三国志ライフ

 

 

美女は争いのタネになる

衝立の向こうから周瑜と話をしている孔明と魯粛に悪態をつく小喬

 

さてさて三国志演義(さんごくしえんぎ)の話で恐縮ですが、赤壁(せきへき)の戦いの前のこと。開戦を渋る()の将たちを焚き付けるために、諸葛亮は周瑜(しゅうゆ)にある話をします。

 

曹操(そうそう)は美人と名高い二喬(にきょう)を奪おうとしていると聞きました」

二喬とは言わずと知れた孫策(そんさく)の妻、大喬(だいきょう)と、周瑜の妻、小喬(しょうきょう)のこと。

 

周瑜と陸遜

 

美女と名高い二人を曹操が手に入れようとしていると知った周瑜は激怒、赤壁の戦い、というのがざっくりとした流れでしたね。美女は時として戦の理由となるのです。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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