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[趙雲]曹操軍のエリート・虎豹騎を撃退した一騎駆け

2023年4月27日


 

長坂の戦いでの趙雲

 

劉備(りゅうび)の子どもを敵陣から救出したと言われる趙雲(ちょううん)の一騎掛駆け。具体的には、どんな状況だったのでしょうか。

 

朝まで三国志 劉備

 

そして、劉備は自らの子どもを置いていかなければならないほど切羽詰まっていたのでしょうか。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

 

三国志演義をベースに趙雲の一騎駆けにフォーカスしていきます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備と趙雲の出会い

劉備

 

西暦200年。劉備は徐州(じょしゅう)曹操(そうそう)に敗れると袁紹(えんしょう)の元に身を寄せます。

 

趙雲と劉備

 

趙雲は邺城(現在の河北省臨漳県(りんしょうけん)辺り)で劉備に会い、同じ部屋で眠ります。そこで劉備はこっそりと趙雲に数百人ほど兵を集めるように指示。

 

劉備に褒められる趙雲

 

趙雲は左将軍の部下と名乗り、兵を募集します。袁紹はそんなことを全く知りませんでした。ほどなく劉備は「汝南(じょなん)」で曹操を襲撃しますが、くしくも失敗。

 

趙雲と劉備が初めて出会うシーン

 

その後、趙雲は劉備の仲間になり、荊州にいる親戚の「劉表(りゅうひょう)」の元を訪ねることとなるのです。

 

二刀流の劉備

 

やがて劉備は劉表に屈し、「新野」に駐屯します。曹操は夏侯惇(かこうとん)于禁(うきん)を派遣し、劉備を討伐しようと思案します。当時、お互いに警戒し合っていたため、劉備は待ち伏せして曹操軍を撃破。

 

趙雲子龍

 

そのとき趙雲は「夏侯蘭(かこうらん
)
」を生け捕りにします。実は趙雲と夏侯蘭は同郷で小さい頃から知っている仲だったのです。趙雲は劉備に事情を話し、夏侯蘭の命を救うことに成功。劉備は法に照らし、夏侯蘭に「軍正」の位を与えます。

 

 

 

曹操が荊州へ進軍

曹操

 

西暦208年。劉備にやられて黙っている曹操ではありません。荊州に向けて進軍を開始します。

 

曹操に降伏する劉琮

 

劉表とその次男の劉琮は南下してきた曹操軍に白旗を上げます。樊城(はんじょう)でその悪いニュースを耳にした劉備は戦うことなく逃げます。いわゆる三十六計です。劉表がやられたと知って勝ち目がないと察したのでしょう。

 

村人

 

途中の「襄陽(じょうよう)」まで来ると劉備を慕った町の農民10万人が劉備に尽き従います。移動速度は牛並みに遅く、ついに曹純(そうじゅん)率いる「虎豹騎(こひょうき
)
」部隊が放たれるのです。休まず追いかける虎豹騎。

 

雷怖くない 能ある劉備

 

「当陽長阪」でやすやすと劉備に追いつきます。おどおどしていた劉備は慌てていたので妻と子どもたちを残し、張飛(ちょうひ)諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)、趙雲ら数十騎ほどで逃げます。しかし、趙雲の姿が途中で見当たらなくなります。

 

そばにいた人に訊くと

「北の曹操のところに行ったみたいよ」と返答。劉備は戟を手に「趙雲は必ず我々の元に帰ってくる!」と言ったそうです。

 

劉禅

 

ほどなく趙雲は子どもの「劉禅(りゅうぜん)」と劉備の妻である「甘夫人(かんふじん)」を抱えて劉備の元に帰ってきます。劉禅はのちのち劉備の後を継ぐ子どもだから曹操の手に渡してはなるまいと思ったのでしょう。これが世にいう「趙雲の一騎駆け」です。

 

後に趙雲は「牙門将軍」にグレードアップします。

 

 

曹操お抱えの虎豹騎とは?

虎豹騎を率いる曹休

 

劉備追撃のために曹操が放った「虎豹騎」部隊。初めて耳にした読者もいるかもしれません。実は魏におけるエリート部隊だったのです。

 

曹操と虎豹騎

 

「虎豹騎」のトップは代々曹家が就任。例えば曹純や曹休(そうきゅう)曹真(そうしん
)
などです。曹操が最も信頼を置いていたのが虎豹騎のトップ。劉備追撃に虎豹騎を使った曹操の執念が読み取れます。

 

後ろ向きになって弓矢を放ち虎を倒す曹真 虎豹騎

 

虎豹騎は中央軍、地方軍、屯田軍の3つに分かれ、地方軍が州や郡を防衛。屯田軍は国境付近に配備されました。中央軍は内と外の2つに分かれ、外は曹操が直接、指揮を執っていました。

 

曹操から逃げ回る劉備

 

内は中軍と呼ばれ、親衛隊としての役割があり、曹操直属の部隊が指揮。数は10万人ほどいました。宮殿に常駐し、曹操の親戚が代々トップを務めていたのです。こんなエリート部隊に追いかけられたら劉備もたまったものではありません。

 

数名の部下を連れて逃げるのも無理はないでしょう。

 

 

三国志ライター 上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

趙雲の一騎駆けは曹操の放った虎豹騎がきっかけで生まれました。曹操一族のエリート部隊を巧みにかわし、劉禅と甘夫人を救った趙雲の偉大さが分かります。いわばソ連時代のスペツナズから女性と子どもを救うようなもの。

 

曹操軍の輸送車を襲う趙雲

 

肝が据わっていないとできない芸当です。劉備や劉禅が趙雲を大切にした理由が推し量れます。

 

参考文献:「三国演義(中国語版)」羅貫中、「交通旅遊中国地図冊(中国語版)」湖南地図出版社

 

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上海くじら

上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

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