九品官人法のデメリットと問題点、司馬仲達はどこまで見越してたのか?


 

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九品官人法を作った陳羣

 

今回は九品官人法きゅうほんかんじんほうに付いて、解説、そしてそのデメリットと問題点をお話していきたいと思います。九品官人法きゅうほんかんじんほうは一言で言うならその制定された時代において新しい官吏の登用法なのですが、当然のようにデメリット、そして問題点も指摘されているのです。

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

 

ではそのデメリット、問題点は?そしてそれは、どうして改善されることはなかったのか?色々と考えてみたので、一つ一つお話していきましょう。。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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九品官人法とは一体?陳羣が建議した新しい官吏の登用制度

陳羣

 

さて九品官人法きゅうほんかんじんほうは、皇帝曹丕そうひが始めた官吏の登用法で、その曹丕そうひの四友、陳羣ちんぐんが建議してできあがったものです。これは中央ちゅうおうから中正官ちゅうせいかんという役職を派遣し、彼らは地方で人材を最高の一品から九品まで評を付けて中央ちゅうおうに評価を贈る、そしてそんなに優秀な人物であるならば時に中央ちゅうおうに招かれて……という方式で人材発掘が行われていました。

 

陳羣

 

それまでは郷挙里選きょうきょりせんという、地方の豪族が優秀な人材を推薦する方式でしたが、このため地方の豪族に賄賂を贈っては推薦して貰う、という状態が横行したため、この九品官人法きゅうほんかんじんほうという新しい仕組みが作られたのだと思います。

 

 

九品官人法、とんでもないデメリットと問題点

陳羣の祖父・陳寔

ではこの九品官人法きゅうほんかんじんほうのデメリットと問題点ですが、まず問題点として「結局は中正官ちゅうせいかんに賄賂を贈るようになり、元々の賄賂の横行は変わらなかった」ことが挙げられます。

 

陳羣

 

そしてデメリットですが……まず郷挙里選きょうきょりせんでは豪族に賄賂が集まることで、地方の豪族が権力を持つようになってしまっていました。そういう欠点から中央ちゅうおうから中正官ちゅうせいかんを派遣したのでしょうが、この中正官ちゅうせいかんに賄賂が贈られるようになった上に、ある権利を持つ者たちが生まれてしまったのです。

 

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「上品に寒門なし、下品に勢族なし」

陳羣

 

この九品官人法きゅうほんかんじんほうでは一品が最高、九品を一番下のランクと格付けしていましたが、殆ど一品が選ばれることはありませんでした。つまりほぼ二品が最高だったのですが、この二品の評価をされた家柄の者たちは「中正官ちゅうせいかんに意見することができる」ようになっていたのです。つまり名家に生まれれば名家は約束されたようなもの。これを批判した言葉が「上品に寒門なし、下品に勢族なし」という言葉です。

 

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司馬懿はどうして九品官人法にメスを入れなかったのか……?

陳羣 九品官人法の書物

 

そしてこの九品官人法きゅうほんかんじんほう司馬懿しばいの実権を握るようになる頃に少し改変が加えられています。それは中正官ちゅうせいかんの上により権限が強い州大中正を置くこと……これにより更に「権力を持つ一族が権力を持つようになる」というサイクルが形成されていきました。慌ててはいけません、これこそ司馬懿しばいの罠!

 

北方謙三 ハードボイルドな司馬懿

 

司馬懿しばいは敢えて九品官人法きゅうほんかんじんほうの欠点、デメリットをそのままにすることにより、権力を持つ者……司馬一族しばいちぞくの権威を高めていった……!
のではなかったとしたら、どうでしょうか?そこが今回ちょっと考えてみた筆者の蛇足点となります。果たしてこの蛇足は龍になれるでしょうか。

 

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九品官人法の欠点、既に指摘されていた!

夏侯玄

 

九品官人法の欠点を指摘した人物がいます。それは魏の夏侯玄(かこうげん)、父は夏侯尚(かこうしょう)、母は魏の大将軍、曹真の妹、宗室に連なる血の流れを持つ人物。

 

魏の文官・李孚(りふ)

 

この夏侯玄に司馬懿が政治に付いて尋ねると、彼は九品官人法の欠点として、中正官の権限が強すぎること、そのために家の力、金の力で中正官に近付くことができる人物が有利となる、という指摘を行いました。

 

冗談も言えないほど超真面目すぎる仲弓(文官)

 

 

そしてこれらの欠点をなくすためにも、中正官の権威を縮小するべきと言ったのです。九品官人法が生まれた時代に、その欠点やデメリットは既に指摘されていたのでした。

 

 

司馬懿の言葉に含まれる意図とは?

 

そしてその指摘に、司馬懿は

 

「優れた人物が出現しない限り、貴方の考える政策は実地することはできないだろう」

 

司馬懿と司馬師

 

と答えたと言います。簒奪者、司馬仲達の言葉と考えるならばこれは「司馬一族よりも秀でている者が生まれない限り、集中される権力の行き着く先は変わらないだろう」とも聞こえる言葉です。しかしもしこの言葉を逆の視点、あくまで魏の国に忠義を立てる功臣、司馬懿の姿として考えてみるならば。

 

「優れた人物が出現した時、貴方の考えは実行されることだろう」とも取れるのではないでしょうか。

 

 

司馬懿はどこまで先を見越していたか

年を取った司馬懿

 

この時点で司馬懿の年齢はおそらく、70近く。既に老年にかかり、嘗ての同志たちも消え、次代に全てを託さなければならない年齢。そして夏侯玄の意見を取り入れ、司馬一族の専横が起こることもなく、貴重な人材を取り入れていくサイクルが上手くいけば、魏の時代は、続いて行くかもしれない。

 

司馬懿

 

しかし願い虚しく、魏の皇帝は三代目にして出自が不明、頼りの宗室だった曹爽は失脚、司馬一族に対抗する勢力は現れることなく、司馬懿は亡くなりました。

 

司馬懿

 

司馬懿がもし、魏の曹一族の弱体化(例・曹爽)を嘆いていたとするならば。もしかしたら嘗ての同志たちが作り上げた九品官人法の欠点を指摘した夏侯玄に、何らかの期待をかけたのかもしれない。

 

司馬懿

 

もしその欠点を補った政策を成し遂げることができれば、魏は続いて行くと思ったのかもしれない。あくまで魏の忠臣・司馬懿と九品官人法の欠点。そんな二つを並べてみたのですが、どうでしょうかね?

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

まあ夏侯玄処刑したのは司馬懿の息子の司馬師ですけれども。(余韻台無し)制定した当初はそうデメリットや欠点は見えてきません。そういうものって、後々判明していくこととも思いますので、九品官人法が欠点しかなかったかどうかはその瞬間には判断が付かなかったこともあると思います。

 

三国志を語るセンさん

 

しかし、司馬懿というほどの人物がそれらに気付かず、更には放置したのか?ではそうしたのなら、何の意図があったのか?それを司馬懿という人物の別一面から考えてみた、筆者でした。

 

センさんが三国志沼にドボン a

 

……まあ司馬一族もこの後びっくりするほどやらかすので、この司馬懿にも見抜けぬものがあったのか、という可能性も無きにしも非ずですね、どぼん。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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