皆さんは、三国志初期の群雄の一人である劉表について、どのようなイメージをお持ちでしょうか?『三国志演義』やその流れをくむ作品を読んだ人であれば、劉表といえば、流浪の劉備を突然保護してくれた親切な人、という程度の印象かと思います。
しかし、『正史三国志』を読むと、劉表の印象はガラリと変わります。劉表は、後に魏呉蜀が激しく争奪戦を繰り広げる戦略的な要衝、あの荊州を、劉備や孫権が台頭するよりも前の段階において、しっかと地盤として握っていた権力者です。
しかもこの劉表、先祖代々この荊州という土地を地盤にしていた名士というわけでもありません。董卓に任命されて荊州に赴任してから、地元の豪族や山賊まがいの連中を、時に抱き込み、時には謀殺し、ほぼ一代で自身の勢力下においた立派な群雄の一人なのです!
どうやら、政治や計略について、かなりの手腕があった上に、そもそも戦略的要衝の荊州を早い時期に地盤にしていたとは!となると、想像が膨らんできますよね。この劉表、やり方によっては、天下を狙えた候補の一人だったのではないでしょうか?
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劉表が天下を統一するために依るイデオロギーが存在した!?
「いや劉表が天下を狙うというのは難しいだろう?彼には曹操のような強固な権力への野心もなければ、劉備の漢王室復興のような夢もない」と思うかもしれません。ところが!『正史』を追うと、劉表のキャリアには、無視できない背景があるのです!
それは、劉表はこの時代の中国における、「儒教の教養」を体現するような人物だった、という点です。彼は天下が荒れる前、儒学を熱心に勉強し、学者としてたいへんな声望と人脈を得ていました。
そういえば、三国時代の、劉備・孫権・曹操と並べてみても、「儒教を手厚く保護します」というイデオロギーを旗印に天下に号令した英雄はいません。劉表がここに目を付け、「わしが天下を取った暁には儒教を基盤にした治世をもたらす!」と宣言したら、三国志の展開はどうなったのでしょう!
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儒教を保護する英雄というポジションは実は大望されていた!?
ここで、三国時代における儒教の立場を思い返してみましょう。もともと後漢が腐敗し崩壊へ向かって行ったのは、政治家たちが礼節や仁徳を忘れ、宦官たちが私利私欲の為に横暴を繰り広げていたことが一因でした。その混乱の時代に現れた強烈な個性である曹操は、決して儒学者を弾圧はしませんでしたが、旧来の風習を嫌う曹操は、しばしば、儒教にシンパシーの強い部下とは軋轢を起こしています。
鶏肋の事件で有名な楊修も、もともとはその儒教の教養が曹操に疎んじられていたという説がありますし、名参謀だった荀彧と曹操が次第に疎遠になったのも、荀彧が儒学者出身だったことが一因と言われています。後漢末期には儒教出身の名士は不遇だった。新時代を代表する曹操陣営ですら、辛い思いをしている。ならば!
荊州で劉表が「わしは曹操とも孫権とも違う!儒教を中心とした社会を作れるぞ!」と呼びかければ、これはなかなかインパクトがあったのではないでしょうか!
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儒教を旗印に天下統一を目指す劉表の勝ち筋とは?
しかし、たとえそのような大義名分を掲げたとしても、劉表に、そもそも天下統一への「勝ち筋」はあるのでしょうか?私もいろいろ考えたのですが、結果、残酷ながら、「河北を制圧した後の曹操にはどうしても勝てない」というのが結論でした。となると、劉表が天下を統一するのに必要な勝ち筋は、スピード感が命です。おそろしく早い段階で天下統一に向けて行動するしかないのです。
具体的には、袁紹と曹操が戦っている間に、劉表は電撃的に行動し、いきなり劉璋軍に奇襲をかけて、益州を奪ってしまうこと。これしかありません。
そして、曹操が官渡の戦いで袁紹軍を破り、河北に大勢力を完成させた時には、劉表はすでに、荊州と益州をおさえた「劉表の蜀国」を建国し終えていること。この電撃的な「蜀国独立」を果たせば、地の利を活かして曹操との決戦に備えられるでしょう。そして、荊州と益州を抱える巨大勢力となった劉表ならば、孫権を上から目線で抱き込んで同盟に参加させることもできるでしょう。
このシナリオでは、曹操の天下分け目の最終決戦は、赤壁ではなく、荊州を舞台に、曹操対劉表孫権同盟軍、という形で戦われることになります。おまけに、人材としては、荊州と益州を押さえていれば、本来は劉備軍に吸収されるはずの黄忠と魏延が配下に入ります。なかなか、強力な劉表軍が完成するのでは?
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まとめ:天下三分まで突き進んだ後が苦しいかも
ただしこのシナリオ、まだ問題が残っています。
「荊州と益州を含めた大勢力を築く」と先ほどから述べていますが、それってつまり、正史でいう「劉備・孫権・曹操」の天下三分の計とまったく同じ構図が出来上がり、その「劉備」のポジションを劉表が早期に乗っ取ってしまう、というだけとも言える話。
となると、問題は天下三分が成立した後です。「あの劉備ですら、荊州と益州を持っていながらも、曹操を倒すのは無理だった。劉表が荊州と益州を握っていたとしても、果たして、劉備以上に戦えるのか?」そうなのです。
私が考えられたのも、ここまで。劉表の野望は、史実における劉備の最大版図と同じくらいの大勢力を作るところまで。その後は、けっきょく、曹操軍の豊富な人材と物資力に押され始めるでしょう。
唯一、劉備にもできなかったような大逆転の鍵があるとすれば、よりどころとなる儒教イデオロギーがどう作用するか、です。まさかの!曹操軍の儒教系の人材、つまり、揚修、荀彧、荀攸が、こぞって劉表に寝返るという「儒教系キャラの胸アツ大集合」事件が発生すれば、夢の劉表大逆転もあり得るかもしれません!ですが、そこまでは、さすがに夢を見すぎでしょうか?
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三国志ライターYASHIROの独り言
「いや蜀を建国したところで後継者問題でガタガタになり、結局は流浪の劉備を呼んで国を譲るしか道がなくなり、最後は蜀の君主は劉備になっちゃう」って?おお、そうかもしれません。
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