三国志には色々な性格を持った人物が登場します。例えば曹操は感情豊かで、義理堅い性格です。
また劉備は正史三国志の作者・陳寿曰く「礼儀が正しく人を見る目に長けている」性格でした。
孫権は同じく正史三国志の作者・陳寿曰く「疑い深い性格だった」と書かれております。
このように三国志に登場する武将も様々な性格を持っていますが、孫呉の名将・朱然はどのような性格だったのでしょうか。今回は朱然の性格について紹介したいと思います。
人望のある性格をしていた朱然
朱然の性格は人望のある性格だったと言えるでしょう。特に朱然は兵士達に人望があった人でした。朱然の人望の高さを示すエピソードがありますので、紹介したいと思います。朱然は夷陵の戦いの後、江陵城の守備を任されることになります。
朱然は魏軍が江陵城へ攻撃を仕掛けてくると少ない兵士と共に籠城。魏軍は江陵城を包囲した後、総攻撃を開始。
江陵城は魏軍の激しい総攻撃を受けたことがきっかけで、籠城している孫呉の兵士達の士気も低下していきます。しかし朱然は魏軍の攻撃を受けても恐れることなく、いつも通りの姿を兵士達に見せ、兵士達が魏軍の攻撃を受けて怖がらないように声をかけて励まします。その結果、朱然らが籠城している江陵城は、六か月魏軍の激しい攻撃を受けても屈することなく、守り抜くことに成功します。朱然はこのように兵士達から人望がある将軍でした。
豪華な物にお金を使わない節約家・朱然
朱然の性格は、人望があるところだけではなく、節約家でもありました。朱然は孫呉の重鎮として位が昇進しても、豪華な家に住んだり、GucciやHermèsなどのきらびやかな服装や食事にお金をかける生活をすることなく、質素倹約に努めていたそうです。
真面目でリーダーシップもある性格をしていた朱然
朱然は上記で紹介した性格の他には、どのような人物だったのでしょう。
それは真面目でリーダーシップもある人物でした。朱然は朝起きてから出仕した後、終日仕事に勤しんでいたと正史三国志・朱然伝にあります。このことから、朱然がまじめな性格だったことが伺えると思います。また朱然はリーダーシップ力もある人物でした。朱然のリーダーシップ力が伺えるエピソードがあるので紹介したいと思います。
孫権は諸葛亮の兄・諸葛瑾の息子の諸葛融や孫呉の丞相を経験した事のある歩騭の息子・歩協らに父親の跡を継がせ、仕事を任せます。しかし孫権は父親の跡を継いだ彼らが、まだ若かった為、朱然に彼らをまとめさせて、いろいろと指示を行うのでした。このことから朱然にリーダーシップ力があった事がうかがえるのではないでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は朱然の性格について紹介しました。
朱然は周瑜や魯粛、陸遜、張昭、甘寧、呂蒙などに比べると知名度の無い人物です。しかし朱然は上記で紹介した人物たちと比較しても遜色なく活躍した人物です。
その一例として呂蒙は朱然を高く評価していました。彼は亡くなる間際孫権から「君が亡くなった後、誰を後任にすればいいのか教えてくれないか」と問われたことがありました。すると呂蒙は「私が亡くなった後、朱然を私の仕事の後任者として任命するのがいいでしょう。彼は決断力もあり、実行力もある人物なので、私の跡を継ぐにふさわしい人物だと思います」と高い評価を得ています。
このことからわかるように朱然はあまり知名度が無いだけで、孫呉の中でも優秀な人物として挙げることができるでしょう。
この機会に朱然のように孫呉の中ではちょっとマイナーだけど活躍した朱桓や張紘、全琮などの武将達に目を向けてみてはいかがでしょうか。
■参考 正史三国志呉書・朱然伝など
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