

陳勝(ちんしょう)と呉広(ごこう)は見事に兵士達の心をつかみ、反乱へ踏み切ります。相手は天下統一を果たした秦帝国。二人が握っていた軍勢はほんのわずかですが、秦帝国に果敢にも挑んでいきます。
張楚建国
陳勝と呉広は引率者の首を祭壇に掲げ、陳勝は将軍を名乗り、呉広は都尉(とい)を名乗ります。陳勝と呉広は反乱軍を率いて出陣。二人の軍勢は各地で連戦連勝し、向かう所敵なしであった。こうして陳という城下に近づく頃には、兵士の数は数万という大軍に膨れ上がり、その勢いで陳を占領。
陳を占領した二人の前に、陳の長老や部下達が彼らを王に就くよう進言します。陳勝と呉広はこの進言を受け入れ、王位につき、新たな国号を作成国号を張楚と名付け、陳を王都にします。
秦の首都咸陽へ向けて進撃
陳勝と呉広は陳に居た元項燕の部下であった周文を将軍に任命。彼を先頭に秦の軍勢と戦わせます。周文は迎撃に出て来た秦軍を幾度も破る快進撃を続け、ついに秦の函谷関を突破。こうして秦の都がある咸陽へ大手をかけます。しかしここで思いもよらない事が発生します。
秦の名将章邯の出現
章邯(しょうかん)は役人として秦に仕えていました。しかし陳勝と呉広の反乱軍が函谷関を突破した事を知ると趙高へ進言します。
「現在始皇帝の墓で働いている罪人20万人を兵にして、勲功を稼げば罪を許せば如何でしょうか。」と策を伝えます。
この策を聞いた趙高は章邯の進言を許し、彼の思うままにさせます。章邯は始皇帝の墓に行き、20万人の罪人を集め
「君達にはこれから兵になってもらう。兵になって勲功を稼げば、君達の罪を許すと皇帝がおっしゃっている」と伝えます。
こうして即席の兵士20万に武器を与え、周文の率いる反乱軍の迎撃へ出陣します。
張楚の名将周文VS秦の名将章邯
周文は秦の軍勢が迎撃に出てくると陣を敷きます。章邯は周文の陣へ猛攻をかけます。周文の軍勢も激しく章邯の軍勢を迎撃します。こうして激闘を続ける事数時間、ついに章邯の軍勢が周文の軍勢を破ります。周文は敗走すると、態勢を立て直し、再び澠池(べんち)で章邯軍を待ち受けます。しかし周文の軍勢は章邯軍に完膚なきまで敗北。周文は澠池の地で自害します。章邯は見事に張楚の主力軍を破り、一気に張楚の首都目掛けて進軍を開始します。
盟友呉広の死
呉広は陳勝から離れ、滎陽を攻略していました。李斯(りし)の息子李由は滎陽を懸命に防衛します。そのため呉広は滎陽攻略がはかどらず、いたずらに時間ばかりが過ぎていきます。そして周文敗報の知らせが呉広の元に入ります。
また周文を破った秦の軍勢が近づいてきている事も知らされます。呉広の配下達は田臧(でんぞう)を中心に集まり密謀を企てます。田臧は諸将に対し「呉広の兵の扱いでは10年たっても城は陥落させるのは不可能であろう。そして後ろから秦の軍勢がやってきている。このままでは我らは敗北してしまう。そこで呉広を殺害し、指揮権を奪って秦と戦おう。」と諸将を誘います。
諸将は田臧の意見に賛成。田臧は呉広を殺して、彼の首を陳勝の元へ送り、軍の指揮権を奪います。陳勝は呉広の首を見て大いに悲しみますが、ここで田臧のやり方を拒否する訳には行かず、彼の行いを認め宰相に任命します。こうして指揮権を手に入れた田臧ですが、章邯軍の前では手も足も出ず、撃破され、田臧は討たれます。
章邯の快進撃
章邯は各地で反乱を起こした賊の軍勢を撃破。邪魔者を片付けた章邯はついに張楚王陳勝の本拠地に向けて進軍を開始。まず手始めに、蔡賜(さいし)を撃破し、討ち取ります。次に張楚の首都の西方で迎撃の陣を敷いていた張賀に攻撃を開始。陳勝はこの時張賀を助けようと援軍に向かいます。しかし章邯の圧倒的な攻撃の前に敗れてしまいます。張賀は討たれ、陳勝は命からがら逃げます。
陳勝の最後
陳勝は章邯に敗北すると、首都陳に戻らず南下します。下城父を過ぎてさらに南下を続けている途中で従者に殺害されます。こうして秦全土を揺さぶった陳勝と呉広の反乱は鎮圧されます。その後秦は滅亡し、漢帝国が天下を統一します。
劉邦(りゅうほう)は天下統一すると陳勝を丁重に葬り、彼が亡くなった場所周辺に民家を立て、代々墓守を置いたそうです。
三国志ライター黒田廉の独り言
陳勝と呉広この二人が起こした反乱はあまり長続きしませんでした。しかし、死ぬ気で策をめぐらして独立を果たします。こうして独立を果たした二人は秦の国内に亀裂を入れます。彼らの反乱のおかげで、劉邦や項羽が活躍する事が出来たのです。その後陳勝と呉広は共に亡くなってしまいますが、彼らの夢であった王や将になる事ができ、歴史に名を刻む事が出来たのです。
「燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」の言葉通りの人生を歩むことはできたのではないでしょうか。
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