今回は魏のスーパー名将にしてハイパーおじいちゃん、程昱に付いてお話ししたいと思います。さてこの程昱、間違いなく名将ではあるのですが、その人格や特性にはやや難アリとされて……いるだけでなく、
とある事件で曹操にドン引きされ、それが原因で公に至れなかったのだと言われることが良くあります。その事件とは「人肉」。今回はこの程昱と人肉の事件アレコレを、色々な面から見ていきたいと思います。
この記事の目次
魏の成り立ちに程昱アリ
さて程昱の生まれは141年とされ、曹操よりも14歳も年上ということになります。黄巾の乱の際に東阿県を良く守ったことでも知られ、兗州刺史である劉岱に招かれることになりますがこれには応じず、袁紹と公孫瓚の戦いでは劉岱に「袁紹に味方するべき」とアドバイスし、感謝した劉岱が改めて騎都尉に任命しようとして招きますが、やはり応じず。
劉岱の死後に曹操に仕えるようになり、張邈と陳宮の反乱から城を守り切るなど曹操の一番苦しい時代を支えてきた人物です。曹叡の代に魏の功臣が選ばれた際に、夏侯惇、曹仁と共に程昱が選ばれ、曹操の廟庭に祭られるなど、魏の国を挙げて功があるとされていた人物でもあるのでしょう。
程昱と人肉のこわ~いお話……本当にあった話なのか?
その程昱と人肉の話に付いて、早速始めていきます。嘗て、曹操は食糧難に困っていました。この際に程昱は、略奪をしてまで曹操に食料を献上したのです。しかし何とこの際に献上された食料の干し肉には、人肉が使われていたのでした……これには曹操もびっくり、ドン引き。
このことから程昱は声望を失ったため、公の位に至ることなく亡くなったのだという話が世語に乗っています。ただ盧弼の「三国志集解」などではこれを「嘘じゃねーのか!」とも言われていて、どうにも実際に人肉を献上したのかどうかは判明していません。
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人肉食とは、当時はどのような評価を受けていたか
この当時、三国志時代にピンポイントで人肉を食したとされている人物が、曹操に仕えていました。
彼の名は王忠。嘗て若い頃には亭長を務めていたのですが、飢えの苦しみから人肉を食したことがあると記されています。
この後に曹操に仕えることになるのですが、この王忠と曹操と共に外出した際の曹丕が、墓場からわざわざ髑髏を取ってこさせ、王忠の馬の鞍に付けて笑いものにしたという逸話があります。
曹丕の性格が最悪なのは置いておくとしても、この逸話からすると「恥ずかしいこと」であることは察することができますね。また世語に記された程昱と人肉のエピソードは西晋の時代に記録されたとすると、三国前後の時代、やはり人肉を食するという行為は、推奨されてはいなかったことが分かります。
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程昱は本当に、人肉を献上したために公に至れなかったのか?
さて人肉を献上したかどうかは本当の所どうだったかは置いておいて、程昱は本当に人肉を献上したことで曹操に嫌われ公に至れなかったのか?実際に程昱は強情な性格もあって周囲と揉めることが多く、謀反を企んでいると曹操に讒言されることも多かったそうです。しかしそれでも尚、曹操は程昱を厚遇し続けました。また曹操が馬超討伐で留守の際の反乱では曹丕への的確なアドバイスをしたことで曹操から「軍略に明るいだけではなく、父と子の間まで上手く取り持ってくれた」と大感謝をしているほど、程昱を大事にしていました。
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曹操に厚遇されていたからこその、程昱の引き際
その後、曹操は兗州での嘗てのことまで思い出して「程昱がいなければ今の自分はいなかっただろう」とまで言って、程昱を称賛しました。この賛辞に程昱の一門の者たちは大宴会を開いて程昱を祝福しましたが、程昱自身は「ここが引く潮時だ」と引退を申し出ます。少なくとも、程昱は曹操に煙たがられた、嫌悪されるということはなく、寧ろそうなる前に、惜しまれる内に身を引いたと言えるでしょう。
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あの(あの)曹丕からも絶賛!!程昱のその後……
その後、程昱は曹丕の即位と共に復職、加増、そして三公に抜擢されようとする矢先に、80歳で死去しました。曹丕は程昱の死を涙を流して哀しみ、車騎将軍を追贈します。個人的に王忠に対してあんな心無い振る舞いをする曹丕ですから、恩があるとは言っても程昱が人肉を献上したことがあるならばもっと何かしらのアクションを取ったのでは……とも思いますね。
ただ陳寿の評価では程昱は謀略に優れた策士だけれども荀彧や荀攸と違って徳がないという評価を得ています。この一件が、世語での「人肉を献上した」評価に繋がったのではないかと思いますね。
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時代が過ぎれば評価も変わる?人肉逸話とあの人
さて、最後に三国志演義の話を少し。三国志演義では劉備に振舞う御馳走がなく、妻を殺して料理したものを劉備に食べさせた人物が出てきます。その後、その真実を知った劉備は涙を流すほど感動して配下に迎えようとするのですが……これを踏まえると、曹操のために食料で人肉を献上した程昱もそう責められるようなことではないのでは?と思いませんか?
実はこの三国志演義ができたのは明の時代、三国、西晋の時代よりも遥かに後になります。これを踏まえて考えるとこの時代の流れの中で、「食べ物がないからと人肉を出すこと」が美談ともなり得る、そういう論理間や価値観の移り変わりを感じますね。これ自体は程昱とは関係がないのですが、最後に時代の移り変わりを感じて頂きたく、エピソードを紹介した次第であります。
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三国志ライター センのひとりごと
個人的には程昱が人肉を献上したかどうかは、かなり信憑性が疑われる話であるとは思います。また程昱の引き際の良さ、その後の復職と厚遇を見ると、寧ろ程昱自身はそこまで地位や立場などには縛られず、あくまで忠心に満ち、それでいて自分の立場が今どのようになっているか冷静に見極めることができる人物だとも思います。ですが「じゃあもしどうしても食料が足りなかったとしたら程昱はどうするか」と言われると、筆者のイメージでは「必要ならば」としれっと出しそうなのもまた程昱だな……とも考えてしまいますね。
皆さんのイメージの程昱はどうするでしょうか?よろしければちょっと考えてみて下さいね。どぼーん。
参考:魏書明帝紀 世語 武帝紀 魏略
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