三国志ではセットで語られる対照的な武将が存在します。例えば劉備(りゅうび)と曹操(そうそう)、魏延(ぎえん)と楊儀(ようぎ)諸葛亮(しょかつりょう)と司馬懿(しばい)などがそうです。逆に、全く無関係な武将に、意外な共通点を見出す事もあり、例えば、忠義と無節操でまったく関連がなさそうな関羽(かんう)と法正(ほうせい)にも意外な共通点がありました。
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関羽と法正、故郷を捨てたジプシー達
中国では、秦の時代から皇帝制が確立しいかにもガチな中央集権に見えますが実際には宋代に科挙制度が完成して、官僚と皇帝が直接結びつくまでは、伝統的な地縁・血縁の社会が継続していました。三国志の時代も、人材推挙は郡の長官の仕事とはいえ、実際に推挙するのは、各県の父老であり、郷挙里選が有名です。つまり、士大夫階級に生まれ、順調に出世がしたいなら、自分を推挙してくれる土地の不老に良い顔をして気に入られる必要があります。
そして、中央に上がったら国の都合より故郷の便益を優先する事が求められたのです。しかし、何らかの理由で故郷を捨てる決断をする人がいます。
関羽は司隷河東郡解県の人ですが、友人の仇討ちに連座してお尋ね者になりやむなく故郷を捨てて、幽州へと流れて劉備に出会います。法正は、司隷扶風郡郿(しれい・ちっぷうぐん・び)県の人ですが、大飢饉の発生で、生きる為に故郷を捨て益州に入る事になります。そこで、劉備を引き込む事になるのですが、ともあれ、関羽も法正も故郷を捨てたジプシー武将である点は同じなのです。
ジプシー出世方法1中央政界のサロンに紛れ込む
故郷を捨てて、ジプシー化した人が出世する方法には、推挙を頼まずに、いきなり中央政界のサロンに属する方法がありました。中央の有力者に師事して自分を売り込んで使ってもらうのです。
こちらの代表的な人物には、故郷では目が出なかったが司馬懿にヘッドハンティングされた鄧艾(とうがい)や出自不明ながら李傕(りかく)やライバルを出し抜き献帝(けんてい)を曹操に売り飛ばして一時、曹操陣営で重きを為した董承(とうしょう)、曹丕に気に入られて出世した呉質(ごしつ)などがいます。しかし、このような出世方法は世渡りの抜群なセンスと仕える人間との相性が重要で、ただ有能なだけでは、埋もれてしまう危険性もあります。関羽と法正は、この方法は取りませんでした。取らないというより、この二人にそんな器用な真似は出来ないでしょう。
ジプシー出世方法2故郷を捨てた群雄に仕える
もう一つの方法は、同じく故郷を捨てた根無し草の群雄に仕える事です。劉備や孫堅(そんけん)は、地元でトラブルを起こし、地元の助力が頼めない人で初期は、メジャーな群雄の下請けをしながら、徐々に知名度を上げています。このような人々は地縁に寄らない義でつながる疑似血縁集団を形成しその集団は任侠的な性格を帯びていきました。
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関羽や法正は、ジプシー群雄だった劉備に仕えて出世のチャンスを掴みます。故郷を捨てた二人や張飛等、疑似血縁集団のボスである劉備を親とも慕い命がけで戦い劉備は、彼らを食わせていく為に粉骨砕身して戦場を渡り歩きました。
社会倫理を超越する侠で繋がるジプシー達
劉備と言えば、たかだか部下の一人である関羽の為に仇討の軍を起こしたり明らかに職権乱用で個人的な復讐を果たす法正を見逃したりします。ここには、疑似血縁集団の絆は法より何より優先しないといけないという根無し草、ジプシー群雄の掟が存在するのです。
思えば魏延も、粗暴で人を見下す悪癖がありながら、親分劉備の下では優遇されていました。
それがオカシクなるのは劉備の死後、地方政権蜀の陣容が整い官僚人間、諸葛亮が大好きな、組織倫理というモノが侠の倫理に取って変わった時からです。この時から魏延は楊儀や諸葛亮との軋轢に悩み、魏将に匹敵する強さを持ちながら死を選ばざるを得ない運命に落ちてしまったのでしょう。
三国志ライターkawausoの独り言
もし、関羽や法正が劉備より長生きしたら、結局、魏延と同じ最後を辿ったのではないかと思えます。両者とも魏延同様に有能だけど癖が強く組織倫理には、容易には服さない臭いがするからです。そうなると、史実でのライバルを陥れる諸葛亮の悪行が2つほど増えたという結果になったかも知れませんね。
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