黄巾軍討伐のために集められた実働部隊の中に、騎都尉(きとい)に
任命されたばかりの曹操がいました。
このとき曹操、30歳。
いざ、初陣です。
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ピンチに現れる救世主のごとく
184年、左中郎将の皇甫嵩(こうほすう)と、右中郎将の朱儁(しゅしゅん)は
4万の官軍を率いて、黄巾軍討伐へと出撃しました。
対する黄巾軍を率いるのは、渠水の波才(はさい)です。
黄巾軍の勢いは、官軍の想定を上回るものでした。
先陣の朱儁は、波才に撃破されてしまうのです。
長社県(ちょうしゃけん)に駐屯していた皇甫嵩は黄巾軍に包囲されてしまいました。
しかし、皇甫嵩は、農民上がりの黄巾軍に負けてなるものかと知恵を振り絞り、
一発逆転の秘策を思いつきます。
火計です。
夜陰に乗じて火を起こし、黄巾軍を混乱させ、包囲網を破りました。
ここへ、官軍の援軍が駆けつけます。
曹操です!
説着曹操、曹操就到!(うわさすれば影「シュオジャ ツァオツァオ ツァオツァオ ジウタオ」)
ちょっと意味は違いますが使ってみたかっただけです……。
華々しい初陣を飾る
曹操と皇甫嵩は力を合わせて一気に黄巾軍をたたきます。
またここへ、朱儁の軍も体勢を立て直して加わりました。
黄巾軍は総崩れとなり、総大将の波才が討ち取られます。
この戦いは「長社の戦い」といい、黄巾軍に深いダメージを与えました。
これを機に黄巾軍の勢いは衰え、その後、首領の張角が病死したことで、
黄巾の乱は鎮圧されるのです。
曹操はこの戦による軍功が認められ、済南の相となりました。
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この記事を書いた人:東方明珠
こんにちは。とうほう めいしゅです。
中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。
もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。
当時はゲームセンターに通いつめました!
まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。