魏の二代目皇帝である曹叡(そうえい)。
彼はおじいちゃんである曹操(そうそう)に似ており
戦の才能においては父・曹丕(そうひ)を超えておりました。
しかし内政においては父曹丕よりも熱心ではなく気まぐれな性格で、
孔明の北伐戦が行われている最中から土木工事を行っておりました。
土木工事を行うことで民衆の経済・流通を盛んにさせようとする作戦でしたが、
家臣達から幾度も止められてしまうのでした。
そんな皇帝曹叡ですが父曹丕のようにお気に入りの家臣がおり、
その名を秦朗(しんろう)と言います。
彼は曹叡に気に入られるほどの能力を持っていたのでしょうか。
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この記事の目次
袁術の娘と結婚したことによって運命が代わる
秦朗の父である秦宜禄(しんぎろく)は呂布(りょふ)に仕えている武将でした。
そんな彼はある日呂布に言われて袁術の元へ使者として派遣されることになるのですが、
これが彼の運命を大きく変化させる出来事になってしまいます。
袁術の元へ到着した秦宜禄は袁術の呼びかけによって結婚させられてしまいます。
彼が結婚した相手は杜氏(とし)と言い非常に綺麗な人でした。
関羽からのお願いを受けた曹操だが・・・・
呂布を討伐するために兵を出陣させた曹操は劉備軍の武将である関羽(かんう)から
「秦宜禄と申す者の奥さんに一目ぼれしてしまいました。
曹操様。呂布を討伐した際に秦宜禄の奥さんには手を出さないでください」とお願いされます。
曹操は「わかった」とすんなり応諾するのですが、
下邳(かひ)城を攻略して秦宜禄の奥さんである杜氏に会うと曹操は関羽との約束を破棄して、
自らの側室として彼女を受け入れてしまいます。
彼女には一人の男の子がおりました。
この子が後の秦朗となるのです。
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張飛(ちょうひ)に父・(秦宜禄)が殺されてしまう
その後秦朗は曹操軍の味方となるのですが、一時期劉備につき従って行動を共にします。
秦宜禄は劉備が曹操の領地で反乱を起こし小沛(しょうはい)城を奪った際、
彼は張飛に「やっぱし俺帰るよ」と相談します。
すると張飛は激怒して「てめー今更何言ってやがる。逃亡は許さん」と
言って彼を殺害してしまうのです。
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曹操・曹丕に気に入られる
秦朗はその後曹操の元ですくすくと育っていき、曹操から気に入られておりました。
曹丕と年が同じくらいであったこともあり彼にも気に入られるという幸運を手にすることになります。
そして曹丕の皇帝時代にはかなり好き放題遊んでいたようですが、
曹操の時代も曹丕の時代も怒られることなく過ごすことになります。
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明帝時代から少し心を入れ替えて働くが・・・・
魏の二代目皇帝として君臨した曹叡の時代になると彼は官職を貰うことになり、
彼自身もしっかりと働き始めます。
しかしたいして有能ではなく将軍としてもイマイチな人材で、
内政においても他の文官よりも劣っておりましたが、他の誰よりも優れていたことがありました。
それは明帝・曹叡に気に入られていることでした。
そのため彼は人材を推挙しなくても怒られることなく、
他の文官や将軍達からも嫉妬されていましたが、非難を受けることもありませんでした。
また明帝・曹叡に気に入られていることから賄賂がじゃんじゃん入ってくることとなり、
彼の収入は皇族の王よりも良かったそうです。
三国志ライター黒田レンの独り言
明帝・曹叡はこのように大した人材でもないのに可愛がって側近に加えてしまいます。
父曹丕も蜀から投降してきた孟達(もうたつ)をめちゃくちゃ可愛がり、
彼を非常に厚遇して他の配下から「厚遇しすぎではないですか」と
不満をぶちまけられるほどだったそうです。
しかし孟達はそれなりに優秀であったため彼に不満を持っていた武将は多くいましたが、
国家を揺るがすほどではありませんでした。
しかし秦朗の場合大した能力もなく明帝から可愛がられていることで、
賄賂をたくさん貰うことになりますが、
彼に大きな野望などがなかった事が幸いして大事にはいたりませんでした。
しかし明帝曹叡の時代から少しずつ魏はおかしくなっていくことになります。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書1 今鷹真・井波律子著など
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