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関羽と張遼の「交流」をピックアップ!三国志演義のサイドストーリーに迫る!前篇

2017年6月11日


 

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三国志演義は話も長く登場人物も多く、ある種の群像劇のようなものです。

ストーリー上重要な事柄を抑えていれば、話の流れは問題なく入りますが、

細かなサイドストーリーのような部分は、注意して読まないと中々繋がっていきません。

例えば、関羽(かんう)は他の魏の将軍とは交流があり、敵とはいえ実力を認めていたようです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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演義にはサイドストーリーが存在する?

 

曹操(そうそう)の配下、魏の五大将軍として知られる

張遼(ちょうりょう)関羽(かんう)とは、縁のある人物でした。

彼は、物語の要所要所で関羽(かんう)と接点があります。

物語である三国志演義のフィクションとして追加されたシーンではあると思いますが、

こうしたサイドストーリーを追っていくと、本来の物語とは別のモノが見えてきて中々面白いです。

今回は、三国志演義前半部における関羽(かんう)と

張遼(ちょうりょう)の場面をピックアップしてご紹介します。

 

関羽と張遼・最初の出会い

 

時は乱世真っ只中、徐州はその太守である陶謙(とうけん)が治めていました。

陶謙(とうけん)は高齢故、病の床に着いてしまいました。

後事を不安に思った陶謙(とうけん)は、劉備(りゅうび)に徐州を譲りました。

関羽(かんう)はもちろん劉備(りゅうび)にくっついています。

 

 

同じ頃に、呂布(りょふ)曹操(そうそう)は争っていました。

濮陽城での戦いを経て、お互い疲弊して終戦となりました。

呂布(りょふ)は軍が疲弊したものの頼る相手もおらず、

劉備(りゅうび)を頼って身を寄せました。

呂布(りょふ)の配下である張遼(ちょうりょう)ももちろんこの時同時に身を寄せます。

 

 

その後、劉備(りゅうび)と関羽(かんう)の留守中、

酒に酔った張飛(ちょうひ)が徐州を呂布(りょふ)に奪われたりしますが、

なんやかんやで呂布(りょふ)は再び劉備(りゅうび)達を迎え入れます。

 

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関羽VS張遼

 

ある日、呂布(りょふ)は配下の部下が買った馬を

山賊として現れた張飛(ちょうひ)に奪われたと報告を受けました。

呂布(りょふ)は怒って、劉備(りゅうび)の元に殴りこみます。

以前徐州を奪われたことを根に持っていた張飛(ちょうひ)が独断で行ったことでしたが、

劉備(りゅうび)はやむを得ず城を出ることとなりました。

張飛(ちょうひ)の軍を先頭に、劉備(りゅうび)の中軍が続き、

殿を関羽(かんう)が務めることとしました。

張飛(ちょうひ)は先陣を切って、敵兵を一蹴すると、劉備(りゅうび)が率いる中軍が抜けました。

この時、呂布(りょふ)軍には張遼(ちょうりょう)がいましたが、

攻撃をかける際追撃する形となり、後詰の関羽(かんう)に阻まれます。

ここで一戦交えた両者ですが、張遼(ちょうりょう)が関羽(かんう)に阻まれたのと、

劉備(りゅうび)が立ち去ったのを見た呂布(りょふ)は追撃を断念しました。

曹操(そうそう)の元へ身を寄せた劉備(りゅうび)は豫州を任されることとなりました。

 

城門での張遼と関羽の掛け合い

 

曹操(そうそう)は、以前から呂布(りょふ)は厄介者と考えていました。

何とかして呂布(りょふ)を亡き者にしようと考えます。

そのため、先ほどの件で呂布(りょふ)と

ギクシャクしていた劉備(りゅうび)と密書で内通していましたが、

それが呂布(りょふ)にバレてしまいました。

怒った呂布(りょふ)は張遼(ちょうりょう)と高順(こうじゅん)に命じて、

劉備(りゅうび)を討たせようとしました。

張遼(ちょうりょう)が城に近づいた時、城門より関羽(かんう)が現れました。

関羽「見たところ貴公の人品いやしからず。何故、逆賊に組みされるか。」

と言うと、張遼(ちょうりょう)は頭を垂れ黙ってしまいました。

関羽(かんう)は、引き上げる張遼(ちょうりょう)の軍に対して打って出たりはしませんでした。

 

城門での張飛との掛け合い

 

一方で、張飛(ちょうひ)が守る別の門にも張遼(ちょうりょう)は来ました。

張飛(ちょうひ)は直ぐに打って出ました。

慌てて関羽(かんう)が止めようとすると、

張遼(ちょうりょう)は兵を引き上げ、張飛(ちょうひ)はそれを追撃しようとしていました。

関羽(かんう)「追うな。張飛(ちょうひ)!」

張飛(ちょうひ)「こちらを恐れて逃げていった奴等をなぜ追ってはいけないのだ。」

関羽(かんう)「あの男は、わしやお前にも劣らぬ程の豪の者だ、わしらを恐れてなどいない。

わしの言葉に己を恥じ、われらとは戦おうとしないのだ。」

張飛(ちょうひ)は、はっと気づき、追撃を止めるのでした。

皇帝である献帝(けんてい)とともにある曹操(そうそう)に逆らう者は、漢室の逆賊でしかありません。

まして、張遼(ちょうりょう)の主である呂布(りょふ)は、

自称皇帝を名乗る逆賊の袁術(えんじゅつ)との繋がりがあるとされています。

曹操(そうそう)と敵対する呂布(りょふ)は逆賊でしかありませんので、

張遼(ちょうりょう)は自身の『主君の命』と『漢室への忠誠心』の

板挟みになっていたのを関羽(かんう)は見抜いたのでした。

 

呂布滅亡

 

その後、曹操(そうそう)と陳親子の計略で呂布(りょふ)は下邳城に追い詰められてしまいます。

下邳城では、部下からの裏切りにあい、曹操(そうそう)に敗北し捕らえられます。

呂布(りょふ)は何とか命乞いをしますが、曹操(そうそう)は聞きませんでした。

そこで張遼(ちょうりょう)が叫びます。

張遼(ちょうりょう)「呂布(りょふ)、見苦しいぞ! 潔く死ね!」

こうして呂布(りょふ)は斬首されました。

 

張遼の処遇

 

次に曹操(そうそう)の前に張遼(ちょうりょう)が引っ立てられます。

曹操(そうそう)「この男、見覚えがあるな。」

張遼(ちょうりょう)「濮陽城で会ったのを忘れたか。」

冒頭の「濮陽城での戦い」のことです。

この時、呂布(りょふ)軍の計略で、

城に誘き寄せられ曹操(そうそう)は火計によって大火傷を負いました。

一命を取り留めたものの、部下の助けが無ければ死んでいたところでした。

曹操(そうそう)「おお、あの時のことを覚えておったか。」

張遼(ちょうりょう)「あの時は、惜しいことをした。」

曹操(そうそう)「惜しいとは、どういうことだ。」

張遼(ちょうりょう)「火が足りなくて国賊を焼き殺せなかった。」

曹操(そうそう)「敗北した将が何をほざくか。」

曹操(そうそう)は剣をゆっくりと引き抜き自ら斬首しようとすると、

また張遼(ちょうりょう)も恐れる様子も無く、首を差し出して待ち構えました。

そこに劉備(りゅうび)と関羽(かんう)が止めに入ります。

関羽(かんう)「お待ちくださいませ。

その者こそ誠の忠義の士です。それがしかねてより存じております。

その者こそ取り立てて用いるべきでございます。」

曹操(そうそう)「冗談だ。それは余もよく知っているよ。」

こうして張遼(ちょうりょう)は命を拾い、曹操(そうそう)の騎下に加わるのでした。

 

三国志ライターFMの独り言

 

三国志演義の話は非常に長いので、

細かな記述はうっかり忘れてしまいがちです(執筆者FMがボケているだけかもしれませんが)。

うっかり城門での掛け合いを読み飛ばすと、呂布(りょふ)の死刑の時に関羽(かんう)が突然、

それまで接点の無かった張遼(ちょうりょう)を庇い出したように見えてしまいます。

登場人物が多いのですごく大変ですが、

一人一人の人柄や対人関係を注目して見ると、また違ったエピソードが見えてきます。

演義は創作部分もありますが、今回紹介した部分、

「城門での掛け合い」と「関羽(かんう)の命乞い」は創作であると考えられます。

おそらく、これからメインキャラとなる張遼(ちょうりょう)の顔を立てての脚色と考えられます。

とはいえ、中身のある面白い追加シーンだと思います。

 

次回記事:関羽と張遼の「交流」をピックアップ!三国志演義のサイドストーリーに迫る!後篇

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三国志は、大昔の出来事ですが、物語をいろいろな視点や切り口で見ていくと、新しくて面白い発見があるのが好きです。 人物像や対人関係、出来事、時代背景、逸話等々、古い話とはいえ、学ぶべきところはたくさんあります。 埃をかぶせておくにはもったいない、賢人たちの誇りがあります。

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