蠱惑的な美女・貂蝉あなたは天使?それとも悪魔?

2018年7月6日


 

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美女

 

傾国の美女といえば楊貴妃(ようきひ)。それまで開元の治と呼ばれる善政をしいていた唐の玄宗皇帝(げんそうこうてい)をその美貌であっという間に腑抜けにしてしまいました。安史の乱まで巻き起こした彼女は稀代の悪女として名を残していますね。そんな傾国の美女にも匹敵する存在として『三国志演義』に登場するのが貂蝉(ちょうせん)

 

蝶のようにひらひらと舞い、呂布や董卓を翻弄する蠱惑的な彼女は果たして天使なのか悪魔なのか…。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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『三国志』のヒロイン?

貂蝉

 

 

世の人々に広く愛されるご長寿作品には、必ずと言っていいほど美しいヒロインが登場しますよね。わかりやすい例を挙げるならばルパンと言えば不二子(ふじこ)、ドラえもんと言えばしずかちゃんといった具合になるでしょうか。やはり美人なキャラクターがいると、作品全体の雰囲気が一気に華やぎますよね。しかも、そのお色気シーンなんかがあると何だかムズムズソワソワしちゃいます。不二子の露骨なお色気シーンも、しずかちゃんのお風呂シーンもそれぞれの作品に無くてはならないもの。

 

お風呂に浸かる曹操

 

 

世の読者たちをドキドキさせる貂蝉も、『三国志演義』には欠かすことができないヒロインの役割をしっかり果たしているのです。

 

 

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董卓を破滅へ導く救世主

董卓

 

董卓(とうたく)が後漢王朝をほしいままに操っていた頃、人々はその暴君ぶりに打ちひしがれていました。董卓の振る舞いを苦々しく思っていたのは民草だけではありません。その政治を傍で支える立場の人も多かったと言います。

 

王允と呂布

 

 

そのうちの一人が王允(おういん)でした。王允は元々不正を許せない性格でしたから、この董卓を何とかして討ち取ろうと考えます。しかし、董卓には呂布(りょふ)がボディガードよろしく常にバックに控えていました。そこで、王允は愛娘・貂蝉に2人を誘惑させ2人の仲を引き裂くという謀を思いつきます。貂蝉は王允にとって愛する娘ではありましたが、王允と貂蝉の間に血のつながりはありませんでした。孤児であった貂蝉を王允が引き取って娘にしたのです。

 

美しく成長した貂蝉は、実の娘のように可愛がり、女として生きていく上で必要な芸事を全て身につけさせてくれた王允への恩に報いたいと常日頃考えていました。その機会がついに訪れたというわけです。政権を牛耳って好き放題暴れまわっている董卓を転覆し、後漢王朝をたてなおして民草を救いたいという王允の悲願を果たすべく、16歳の美少女・貂蝉が立ち上がったのでした。

 

 

袁術祭り

 

 

貂蝉のモデルがいた!?

貂蝉

 

王允のため、民草のため、女の武器を駆使して董卓と呂布の2人を骨抜きにした美女・貂蝉。実は彼女は『三国志演義』のオリジナルキャラクター。しかし、完全に架空の存在というわけではなく、モデルとされた人物がいたのだとか。正史『三国志』には次のような節があります。

 

王允に惑わされる呂布

 

呂布は董卓の侍女に手を出したものの、そのことが董卓の耳に届くことが怖くなり、王允に相談。その時、王允に董卓を討つようにすすめられ、結果的に呂布は董卓を討ち取るに至った。呂布が手を出した侍女。彼女こそ、貂蝉というキャラクターが生み出されるきっかけとなった人物だというのです。

 

 

荒唐無稽な貂蝉の逸話

貂蝉

 

中国四大美女にも名を連ねる貂蝉ですが、人々の間で語り継がれているとある逸話の中では、とんでもないおブスちゃんだったとされているそうです。王允はあまりにもおブスちゃんな貂蝉では董卓を打倒するために温めていた策を使えないと悩みに悩んでいました。

 

華佗

 

 

そこで、王允が天才外科医・華佗(かだ)に相談したところ、貂蝉の首を春秋時代の絶世の美女・西施(せいし)の首と挿げ替える手術をすると申し出ました。王允は喜んで華佗の提案を受け入れます。こうして貂蝉は誰をも魅了する美貌を手に入れたのでした。

 

王允は早速董卓の元に貂蝉を送り込みます。ところが、気が小さく臆病者の貂蝉は王允の言いつけ通りに振る舞えず…。王允に泣きついた貂蝉でしたが、今度は自分の肝を秦の始皇帝(しんのしこうてい)の暗殺の首謀者・荊軻(けいか)の肝に取り替えられます。俄然肝が据わり、別人のようになった貂蝉は、董卓と呂布の2人の男心を見事手玉に取って見せ、王允の悲願を果たしたのでした。遠い昔の人の首や肝をなぜ用意できたのか…。貂蝉、アンパンマンかよ…!突っ込みが追いつかないほど荒唐無稽なお話ですよね。

 

 

貂蝉のその後

貂蝉を取り合う関羽と曹操

 

『三国志演義』では、董卓の死後、貂蝉は呂布の妾となったとされています。しかし、子どもには恵まれなかったということで物語からは退場していきます。ところが、貂蝉というキャラクターを序盤で退場させてしまうのは惜しい!もっと貂蝉の美貌を活かしたい!と考えた人はたくさんいたようです。

 

董卓と呂布に関する一悶着が終わったと思ったら、今度は曹操(そうそう)関羽(かんう)が貂蝉をめぐって火花を散らし、その後曹操が関羽に貂蝉を譲ったとか、なぜか貂蝉は興奮した関羽に斬り捨てられたとか…。貂蝉にまつわる伝承や、『三国志』関連作品における貂蝉の違いを分析するのもなんだか面白そうですね。

 

※この記事は、はじめての三国志に投稿された記事を再構成したものです。

 

元記事:悪女か?恩義に生きた美女か貂蝉の生涯とは?

 

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