曹魏の最強とまで言われた将軍・曹仁も最後を迎えることになります。
そして曹仁が亡くなった頃、三国時代初期に活躍してきた名将たちが次々と亡くなっていますが、どうして相次いで亡くなってしまったのでしょうか。
今回は曹仁の最後と各国の名将たち最後がどうして重なったのかについてレンの推測と妄想を加えて紹介したいと思います。
曹仁の最後
曹仁と各国の名将達が相次いで最後を理由について紹介する前に、曹仁の最後について紹介したいと思います。
曹仁は樊城攻防戦で関羽率いる蜀軍の攻撃を防いだ後も活躍しています。
曹仁は樊城攻防戦の後、襄陽に駐屯していた孫権軍の将軍を打ち破り、襄陽を奪い返すことに成功。
その後曹仁は文帝・曹丕と共に孫呉を討伐する戦に従い、孫呉の勇将・朱桓と激闘を繰り広げますが、彼の軍を打ち破る所までは行きませんでした。
そして曹仁はこの戦いが終結後亡くなってしまいます。
曹仁が亡くなったのは223年で、56歳だったそうです。さて曹仁が亡くなった223年とその前年には多くの名将たちが亡くなっていきます。
では曹仁が亡くなった1年前と223年に一体誰が亡くなったのか紹介したいと思います。
まずは222年に亡くなった名将達を紹介していきましょう。
222年に亡くなった名将達
曹仁が亡くなる1年前に亡くなった名将達は誰なのでしょうか。魏では合肥の英雄と言われた張遼が亡くなっています。
また蜀では「白眉」の異名で有名な馬良が亡くなってします。
更に五虎将軍の一人で、「錦馬超」として有名な馬超も亡くなっています。
では孫呉でも曹仁が亡くなる一年前に誰か亡くなったのでしょうか。
孫呉では周泰が222年頃に亡くなったと一説では言われています。このように曹仁が亡くなる1年前に名将と呼ばれた人たちが魏・呉・蜀でバタバタと亡くなっていきます。では223年には曹仁以外に誰が亡くなっているのでしょうか。
曹仁と同時期に亡くなった人は!?
曹仁と同時期に亡くなった人はいるのでしょうか。
調べると何人か曹仁と同時期に亡くなっている人がいました。
また蜀では農民から皇帝にまで上り詰め、蜀の初代皇帝となった劉備が亡くなっています。
このように曹仁が亡くなった時期と同時期に亡くなった人がたくさんいました。
でもどうして曹仁が亡くなった前後にこれほど名将達がバタバタ亡くなってしまったのでしょうか。
曹仁の死亡時期と前後して英雄たちが亡くなった理由は【レンの推測】
上記で曹仁が亡くなった時期と前後して多くの名将や軍師たちが亡くなっていますが、どうしてなのでしょうか。
ここからはレンの推測をお話していきたいと思います。
レンの推測は曹仁が亡くなる一年前と彼と同時期に亡くなった人物が多いのは、時代に殺害されたのではないでしょうか。
曹仁が亡くなった時期は、魏では後漢王朝を滅ぼして、文帝が魏王朝を立てています。
劉備や曹操に仕えてきた古い人たちも亡くなり、新しい次世代へ三国時代が交代時期にありました。
そのため三国時代が成立する前に活躍していた名将達も次世代と交代するため、歴史に殺害されたと考えることが出来るのではないでしょうか。
あくまで上記はレンの推測もとい妄想ですが、信じるか。
信じないかはあなた次第です。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は曹仁の最後と名将達の最後について紹介しました。
こじつけの部分もありますが、偶然にしては多くの名将たちが亡くなりすぎているような気がするのはレンだけでしょうか。
読者の皆様は曹仁の最後と前後して多くの名将たちが亡くなったのはどうしてだと思いますか。
■参考 正史三国志魏書・蜀書・呉書等
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