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みじめな最期を遂げた公孫瓚が袁紹に勝利するためのシナリオとは?

2019年5月26日


 

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孔明退治を妄想する朶思大王

 

タラ・レバは現在はもちろん三国時代にも通用しませんが、「もしあの戦いの結果が違っていたら」と、想像力を膨らませるのはいたって自由です。という訳で今回は、序盤のライバル対決「公孫瓚(こうそんさん) VS 袁紹(えんしょう)」において、公孫サンが勝利するにはどうすればよかったのか、時系列に沿ってシナリオを練ってみました。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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まずは正史における公孫サンの最期を再確認

公孫瓚と劉備

 

公孫瓚と言えば、「白馬将軍(はくばしょうぐん)」という異名を持つ幽州(ゆうしゅう
)
の群雄であり、旧知の劉備玄徳(りゅうびげんとく)を引き立てたり、反董卓連合に劉備3兄弟を従え参加するなど、目立った存在として描かれることも多いですが、それは三国志演義(さんごくしえんぎ)によるフィクション。

 

公孫サンは英雄劉備が真似した人物だった公孫瓚、劉虞

 

実際の彼は嫉妬深く、善政を敷いていた劉虞(りゅうぐ)を自己中な理由で殺害・貶めたことで人心を失い、戦力的に勝っていたはずの袁紹に界橋の戦い(かいきょうのたたかい)で敗北。

 

諦める公孫サン(公孫瓚)

 

立てこもった頼りの易京(えきけい)袁紹(えんしょう)が繰り出した「地下道作戦」で落城し、妻子を刺殺したのち居城へ火を放ち自決するという、みじめな最期を遂げます。しかし、公孫瓚という人物から「醜い男の嫉妬心」を引き算すると、歴史の趨勢(すうせい)が変化する可能性もあるのです。

 

 

 

公孫サン勝利のシナリオ1 劉虞との協力体制

劉虞

 

187年勃発した張純(ちょうじゅん
)
の乱平定のため朝廷が派遣した劉虞は、武闘派公孫瓚が平定できなかった乱を、烏丸単于(うがんぜんう)丘力居(きゅうりききょ
)
を懐柔することであっさり鎮圧。

 

苦笑いするしかなかった公孫サン(公孫瓚)

 

手柄を奪われる形になった公孫瓚は面白くないはずですが、ぐっと自制心を利かせ劉虞と協力し、幽州の治世を安定させていきました。

 

朝まで三国志 劉虞

 

乱平定の功績によって大尉に昇進した劉虞も、武勇に長け頭の回転も早い公孫瓚を厚遇、自身は行政に力を注ぎつつ、軍事面は彼に一任するようになっていきました。

 

劉虞

 

その結果、悩まされ続けていた異民族による脅威が去り治安は向上、劉虞の善政もあって幽州は北方随一の勢力を有することとなります。

 

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

まだ漢王朝で消耗しているの

 

 

 

公孫瓚勝利のシナリオ2 劉虞の右腕として持ち前の才能を発揮する公孫瓚!

董卓

 

2人の協力体制によって、幽州に乱世らしからぬ平穏な時が流れていた190年、董卓(とうたく)の専横に業を煮やした袁紹ら有力諸侯が、「反董卓連合軍」を立ち上げます。

 

董卓

 

危機感を募らせた董卓は、強引に洛陽(らくよう)から長安への遷都を敢行したのですが、この時劉虞は朝廷への忠誠心を明らかにするため、腹心である田疇(でんちゅう
)
を使者として派遣。

 

献帝

 

喜んだ献帝(けんてい)は朝廷にいた劉虞の子・劉和(りゅうか)を遣わし、自分を迎えに来るよう命じようとするのですが、道中で袁術(えんじゅつ)に捕えられてしまいます。

 

袁術

 

悪賢い袁術はあわよくば漁夫の利を得て、自分が皇帝の座に就こうと考えたのか、劉和を脅し父に宛て、「兵を派遣してくれれば、私も一緒に献帝を迎えに参ります。」という内容の書簡を送りつけてきたのです。

 

怒る袁術

 

 

さすがの劉虞も人の親、書簡に従い数千の騎兵を派遣しようとしますが、頭が切れ信頼を置く公孫瓚に、「これは袁術による朝廷への叛心の表れです!」と諫められ、思いとどまることを決意します。そのうえで公孫瓚は、当時実力者であった袁術に余計な恨みを持たせないよう、自身のいとこである公孫越(こうそんえつ
)
を派遣したのです。

 

 

 

公孫瓚勝利のシナリオ3 烏丸と鮮卑を懐柔・袁紹を壊滅!

袁術

 

袁術との関係悪化を防ぐため、半ば人質のような形で派遣された公孫越でしたが、公孫瓚と劉虞が意図せぬ展開で、戦乱の火種になってしまいます。

 

 

袁術と孫堅

 

当時袁術は、袁紹と激しく争っていたのですが袁術の指示で孫堅とともに、袁紹陣営の周昂を攻撃していた公孫越が、戦いのさなか流れ矢に当たり、なんと戦死してしまったのです。

 

 

公孫サン(公孫瓚)

 

 

知らせを聞いた公孫瓚は言葉を失い、「袁紹が殺したようなものだ」と怒りに震えました。おそらく、自らの親族を差し出してくれた公孫瓚に強い恩義を感じていたのでしょう、傍らにいた劉虞も崩れ落ちる彼の肩を抱き、「ともに袁紹を攻め滅ぼしてくれよう!」と、穏健な彼にしては珍しく強くこぶしをふるわせ、袁紹との対決を決意。

 

 

公孫サン(公孫瓚)

 

 

かくして、烏丸(うがん)匈奴(きょうど
)
らの優れた騎射技術をマスターした5万の公孫瓚軍は、決戦の地「界橋(かいきょう)」で袁紹軍1万5千と激突しました。

 

 

戦争をせずに宴会ばかりしている韓馥

 

 

ここでいったん史実に戻りますが公孫瓚は袁紹との決戦の前に、反董卓の義兵に加わると偽り、韓馥(かんふく
)
を攻撃・撃破するという愚行をやらかしています。

 

被害妄想で怯える韓馥

 

そして、韓馥(かんふく
)
を見限り袁紹配下となった麹義(きくぎ)が習得していた、強弩による羌族(きょうぞく)得意の「対騎兵戦法」によって、公孫瓚軍は歴史的大敗を喫するのです。しかし、人徳者である劉虞が義兵参加を偽るなんて愚行を止めないわけがないため、「if界橋の戦い(かいきょうのたたかい)」に、麹義(きくぎ)の姿は存在しません。

 

 

袁紹

 

 

こうなるといかに勇猛果敢な将軍や、知略に優れた軍師を抱えているとはいえ、元々戦力に劣り歩兵中心である袁紹軍が、辺境で異民族との戦いに明け暮れてきた、公孫瓚の「白馬騎兵軍団」に敵う訳もなく、散々に敗れた袁紹は居城・鄴へ退却を始めます。

 

 

烏桓族

 

激しい復讐心を抱く公孫瓚は、当然のように敗走する袁紹軍を猛追、劉虞も機動力に優れる烏丸・鮮卑の協力を得て、必要な物資をピストン輸送した結果、袁紹は居城にたどり着くことなく、捕縛されてしまいました。

 

「越の仇だ!」「殺せ!」と怨嗟の声が飛び交う中、もっとも恨みを抱いていた公孫瓚は、威厳ある声でこう言います、「われらの主君は劉虞殿、こやつの処遇は劉虞殿に任す」と。こうして幽州に連行された袁紹は、かの地の繁栄と劉虞の皇族らしい威風に触れ、従属を申し出て忠誠を誓うと劉虞に許され、以後劉虞を支える存在となったのです。

 

 

三国志ライター酒仙タヌキの独り言

酒仙タヌキ 三国志ライター free

 

はじ三読者なら名誉欲や支配欲が強く、支離滅裂な行動ばかりしていた公孫瓚は、三国きってのクズ武将であり、今回のif展開にムリがあると感じるかも知れません。

 

三国志大学で勉強する公孫サン(公孫瓚)

 

しかし、公孫瓚が劉備に勝るとも劣らない「天下の大徳」劉虞へ嫉妬心を抱かなければ、少なくとも史実のような情けない最期を迎えることは、まずなかったと考えています。

 

 

 

しかも、劉虞は中山劉勝(りゅうしょう
)
の末裔と「自称」する劉備(りゅうび)と異なり、初代皇帝光武帝(こうぶてい)」の血を引く正真正銘の皇族で、帝位に就く可能性があったことから、忠義を尽くしていれば公孫瓚も三公や大将軍の座が十分狙えたのになぁと、彼の隠れファンである筆者は悔やまれてなりません。

 

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酒仙タヌキ

酒仙タヌキ

小学生のころから司馬遼太郎を読み漁ってきた筋金入り、高校在学中に中国にホームステイしたころから雄大なその魅力に憑りつかれ、いまや晩酌と歴史をこよなく愛する立派な「中年歴男」に。 戦国・幕末はじめ三国志はもちろん、最近では韓流歴史ドラマにドはまり中、朝鮮王朝ロマンに浸りながら嫁タヌキの作るおつまみをつまむのが人生最高の喜び。 好きな歴史人物: 徳川慶喜、上杉鷹山、程昱、荀攸など、どっちかと言うと脇役好き。 何か一言: 歴史はそのまま政治・経済学であり、そして何より人生を豊かにしてくれる「哲学」と考えています。

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