蜀の丞相・諸葛亮。彼は三国志演義ですと軍事・政治に優れた手腕を発揮し、天才と言っても過言ではない活躍を残しています。
ですが正史三国志の諸葛亮は予想と違う誤算ばっかりでした。
蜀の丞相になってからは全て計画通り
諸葛亮は劉備が亡くなると蜀の丞相となり、蜀の軍事・政治を担うことになり、蜀の南部で反乱を起こした南蛮を征伐し、反乱を鎮圧。
ここまで諸葛亮は内政・軍事両方で誤算など起こさず、全てが計画通りに行きますが、この後諸葛亮にとって計画と違う誤算ばかりが生じてしまいます。
孔明の誤算:孟達の優柔不断と司馬懿の神速
諸葛亮は魏を討伐するための戦を起こす前にある計画を実行します。
諸葛亮が実行した計画は、元蜀軍の将軍で魏に寝返っていた孟達を再び蜀に寝返らせることでした。
孟達は曹丕に気に入られ、魏の荊州や洛陽などに近い新城太守に任命されていました。だが孟達は曹丕が亡くなり、曹叡が皇帝として君臨すると仲良くしていた同僚たちも亡くなり、孟達を気に入っていた曹丕も亡くなった事で、将来に不安を感じます。
諸葛亮は孟達が不安に感じている情報を仕入れると、孟達の不安心を煽り、蜀へ寝返るように説得。孟達は諸葛亮の説得を聞きますが、すぐに決断しないでグダグダし、諸葛亮の説得を聞いて数ヶ月経ってようやく、魏から寝返る決断をします。
諸葛亮は孟達が寝返る事を知って喜び、魏へ攻め込む準備を開始。だが諸葛亮の喜びは、司馬懿によって打ち砕かれてしまいます。司馬懿は孟達が蜀に寝返る準備をしていると知ると、すぐに軍勢を出陣させて、孟達が籠城している新城を攻撃し、孟達を捕えて処断。
諸葛亮は自分が計画した計略が成功し、孟達が寝返ってくれると喜んでいただけに、司馬懿によって孟達がやられた事を知り、計画の破綻と自分の目論見の誤算によってショックを受けてしまうのでした。
諸葛亮の誤算:馬謖の失敗
諸葛亮は魏を討伐するため北伐を開始。
諸葛亮は街亭と呼ばれる要衝を守らせるため、自分が手塩をかけて育ててきた馬謖の起用を諸将の前で発表。諸将は張飛よりも格付けが上だった魏延や歴戦の将軍・呉懿などが起用されると予想していただけにびっくりし、何人か諸葛亮へ反対意見を述べようとします。
だが諸葛亮は諸将の反対意見を封じ馬謖を街亭へ派遣。こうして諸葛亮のはじめての北伐戦が開始されることになりますが、大誤算が発生。
それは諸葛亮が手塩にかけて育て、次世代を担う人物として期待していた馬謖が街亭の戦いで大敗北してしまいます。
そのため諸葛亮率いる蜀軍は全軍を撤退する羽目に。諸葛亮の人を見る目の無さが露呈されてしまった瞬間でした。
諸葛亮孔明の誤算:法の厳しさがアダとなる
諸葛亮は蜀の丞相になると法律を厳しくして、蜀の要職にある文官や民衆達をしっかりと統治することに尽力します。諸葛亮は文官や民衆だけでなく、軍事においても法を用いて統制していました。
そのため蜀軍は軍紀違反が極力少なかったそうですが、この法の厳しさが誤算になってしまいます。諸葛亮は第四次北伐戦を開始し、魏の将軍を討ち取る戦果を挙げ、魏の対蜀戦線司令官・司馬懿と互角に戦いを繰り広げていきます。
だが蜀軍にとって想定していない事態が発生。それは大雨によって食糧輸送量が減少してしまった事です。また諸葛亮は食糧輸送の担当者・李厳から「劉禅陛下から撤退命令が出ています」と伝えられます。
そのため諸葛亮は魏軍に対して優勢だったにもかかわらず撤退。諸葛亮はその後李厳から「食料がいっぱいあるのにどうして撤退してきたのだ」と激怒。諸葛亮は李厳の発言にびっくりし、彼が送ってきた手紙をすべて李厳へ出して「なぜこのような嘘をつくのだ。」と問い詰めます。
すると李厳は己の罪を認めて諸葛亮へ謝罪。その後李厳は諸葛亮によって罰せられ、平民へ落とされてしまうのでした。
諸葛亮は軍令にもしっかりと法律を作っていたので、多分兵糧の規定量を輸送できない場合、罰を与えるデメリットも設けていたと考えられます。そのため李厳は長雨によって兵糧が届けられないため、法律で裁かれるのを恐れ、諸葛亮へ嘘をついたと考えられます。
もし諸葛亮が天候によって兵糧が規定量に達しなかった場合、情状酌量の余地があると法律に規定していれば、李厳も嘘をつかずに職務に励んでいたかもしれないですね。
三国志ライター黒田レンの独り言
このように諸葛亮は蜀の丞相となってから誤算ばっかりで、あまり計画通り進行していなかった事がお分かりになったと思います。
ではどうして諸葛亮は誤算ばかりが続いてしまったのか。原因の一つに諸葛亮がすべて自分でこなそうとしてしまったことが挙げられます。諸葛亮は北伐の時、部下に任せてもいい仕事もすべて自分で行っていました。
そのためここで挙げた諸葛亮の誤算の内、どれか一つ部下に対応してもらい、誤算が起きたら自分で判断して、部下に指示を与えていれば、大きな誤算ではなく小さな誤算で済んだかもしれませんね。
■参考文献 正史三国志蜀書など
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【北伐の真実に迫る】