龐統は劉備の軍師です。実力は諸葛亮と同レベルであり、諸葛亮が「伏龍」と呼ばれるのに対して、龐統は「鳳雛」です。
小説『三国志演義』では龐統が劉備の陣営に加わる話が、非常にユーモアに描かれています。今回はその話を紹介します。
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龐統 孫権の怒りを買う
建安15年(210年)に呉(222年~280年)の周瑜が亡くなりました。
孫権は魯粛を周瑜の後継者にしますが、「待ってください」と魯粛。
「私よりも実力のある人物を紹介します」と魯粛は辞退。
ただ、やりたくないのが見え見え・・・・・・というわけで、魯粛の推薦で現れたのが龐統でした。
ところが、この時の龐統はボロボロの汚い服で孫権の前に登場します。まるでホームレス同然。
口調もぶっきらぼうだし、おまけに顔はブサイク・・・・・・
「晃、男は顔じゃなく心だ!」
人は見た目が9割というのが分かっていない読者の皆様もいるようですけど、先を行きましょう。美男子の周瑜と天と地の差なので孫権は、龐統を追い出しました。追い出された龐統はどこに行くのでしょうか。
龐統 劉備をガッカリさせる
龐統は次に荊州の劉備に会いにきました。劉備は有名な龐統が来たと聞くと驚いて、すぐに出迎えの準備開始。まるで芸能人に対しての待遇と一緒です。ところが会ってみると、劉備の気持ちは孫権と一緒でした。
「ええー、これがあの有名な龐統?ただの汚いオッサンじゃん!」
諸葛亮に「こいつどうしようか?」と相談したかったが、運悪くこの時は彼がいなかった。だが諸葛亮の友人である龐統を、勝手に追い返すわけにはいかない。
「龐統先生には、耒陽県の県令の職が余っていますけど、いかがですか?」と劉備は尋ねます。
龐統は「田舎仕事ですか?気楽でいいですね」とOKサインをしてくれます。というわけで、龐統は耒陽県に赴任しました。
張飛 龐統を説教する
ところが、着任するも龐統は仕事をするどころか酒を飲んで全く働きません。毎日、訴訟が山のようにたまっていきます。とうとう耒陽県の民から、劉備のもとに訴えがきました。
聞いた劉備は激怒。
「あのオヤジ、仕事をなんだと思っている!」
そこで張飛と孫乾の2人に命じて、耒陽県の監察を命じた。張飛と孫乾が行くと確かに龐統は働いておらず、酒ばかり飲んでいました。
それどころか龐統は張飛を見つけると「お前が有名な張飛か。一杯やろう!」と酒に誘う始末。
怒った張飛は「貴様、酒ばかり飲みやがって!」と大説教を開始。
アル中がアル中に説教・・・・・・今日の張飛はどうしたのだろうか?きっと、道端の悪いキノコを食べたに違いありません。まあ、冗談はここまでにしておいて、張飛に何を言われようと龐統は平気な顔。
「たまった訴訟なら、明日には片付けてやるよ」と龐統は軽く約束しました。
龐統 劉備の軍師になる
翌日、張飛と孫乾が起きてみると龐統は真面目に働いていました。民の訴訟を聞いて1件1件、丁寧に片付けていました。傍聴している張飛と孫乾はあまりにも、見事な裁判だったので納得しました。
とうとう夕方には全ての訴訟を終わらせました。感服した張飛は平服して「今までの無礼は許してください」と謝罪します。
帰った張飛は劉備に全てを報告します。
「人は見かけによらないものだな・・・・・・」と劉備はため息をつきました。
するとちょうどそこへ、用事を終えた諸葛亮が帰ってきます。劉備が今までのことを話すと諸葛亮は、「龐統は満足した職に就けなかったら、働かずに酒ばかり飲むのです。劉備殿もこれに懲りて、彼を大切に扱ってください」反省した劉備は龐統を召喚して副軍師に任命しました。
三国志ライター 晃の独り言
以上が小説『三国志演義』の龐統の話でした。実はこの話の元ネタとなった人物が1人います。
それは蒋琬です。彼は小役人時代に泥酔して仕事を全くしませんでした。劉備は処罰するつもりでしたが諸葛亮は「彼は国家を背負う人材だから、こんな田舎の官職で満足する人間ではない」と言ったことから助かった話があります。
おそらく、『三国志演義』の著者が蒋琬の話と龐統の話を合体させて、ユーモアにしたのだろうと筆者は推測しています。
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