張郃は魏(220年~265年)の将軍です。韓馥・袁紹に仕えていましたが官渡の戦いで敗北して曹操に降伏。
以降は魏に仕えて司馬懿と一緒に蜀(221年~263年)の諸葛亮と戦いました。筆者は張郃と言えば、諸葛亮の北伐時期よりも小説『三国志演義』で張飛と勝負をした話が印象深いです。
そこで今回は『三国志演義』の張郃と張飛の戦いについて解説します。
※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています。
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自信家 張郃!
建安23年(218年)に劉備は曹操の領地である漢中に侵攻を始めます。この時に張郃は曹洪の副将として従軍していました。
初戦で馬超の副将の呉蘭を破って気持ちよく勝利したのですが大将の曹洪があまりにも慎重でした。その理由は曹洪が昔、馬超と戦って苦戦した過去があるからです。「慎重なのも結構ですが、少し臆病では?」という感じで張郃は曹洪を指摘。
カチンときた曹洪は、「簡単なことを言うな。それならお前は敵の馬超や張飛を討てるのか?」とケンカになりました。
それに対して張郃は、「もちろん。失敗した時は首でも差し上げましょう」と宣言しました。頭にきた曹洪は出陣を許可。張郃は意気揚々と出陣しました。張郃の相手は張飛でした。
張郃VS張飛 酒盛り合戦
一方、迎え撃った張飛は相手が張郃と知ると慎重になります。酒乱・暴力癖の張飛らしくないですが彼が将軍としての力を身に着けている証拠です。
初戦は張飛と副将の雷同の連携プレーで張郃を打ち破りました。敗走した張郃は砦にこもり酒ばかり飲んで出ようとしません。話を聞いた張飛は何を思ったのか、「こっちも酒盛りをするぞ」と酒宴を開始。
その日数は50日!
話を聞いた劉備はびっくりして諸葛亮に相談します。「また張飛の悪い癖が出たから、どうしよう?」
ところが諸葛亮は「これは張飛の策です」と言って酒樽を送ることを提案します。しかし、劉備はいまいち信用出来ないので、自分が信頼している魏延を援軍として派遣することにしました。
さて、魏延が到着すると張飛は大喜びして「勝った」と確信しました。
一方、張郃は張飛が酒を受け取ったと聞くと同じく「勝った」と確信しました。
張郃の誤算と撤退
その夜、張郃は張飛がまだ酒盛りをしていることを確認すると、こっそりと精鋭だけ連れて砦から出ました。夜襲をかけて張飛を襲う気でした。陣に到着すると「狙うは張飛の首のみ!」と言って張郃は突撃!
だが陣には誰もいません。「謀られた!」と悟った時には張郃は遅すぎました。正面から張飛、右翼から魏延、左翼から雷同が襲い掛かってきました。仕方なく張郃は砦に戻ろうとしますが、砦も張飛たちに占拠されており逃げ場がありません。結局、張郃はこの敗戦で瓦口関まで撤退となりました。
三国志ライター 晃の独り言
張郃はその後も張飛、黄忠、趙雲といった蜀の名将に敗北することが多くあります。
彼が将軍としての力を発揮するのは諸葛亮の北伐からです。今までの負けの経験を生かして見事に名将にまで成り上がってみせたのです。なお、張郃は横山光輝『三国志』のアニメ版では長坂の戦いで張飛に討たれています。
横山氏の原作には全く無いシーンであり、どういう意味なのか疑問に思い調べたところ、横山氏がマンガ執筆の時に史料として扱っていた吉川英治氏の『三国志』で張郃は長坂で討たれるような描写が存在します。
吉川氏も死んだという明確な描写を記していないことから、おそらく当時のアニメスタッフが描写をもとに想像したのではないかと考えています。余談ですがアニメの張郃の顔はマンガとは全く似ていません。甘寧に近い顔をしています。
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