曹操と言えば「人材ハンター」なんて呼ばれるほどに、様々、それも優秀な人物を数多く登用したことで有名です。そんな曹操の軍師……と言われると皆さんは誰を想像するでしょうか?
今回のテーマはズバリ「曹操の軍師」について。筆者の思う曹操の軍師として一押しの人物を紹介していきたいと思いますので、少々お付き合い下さいませ。
「曹操 軍師」
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まず確認しておきたい「軍師」とは?
さて曹操の軍師を語る前に「軍師」について少し話したいと思います。軍師とは「軍を指揮する君主や将軍の戦略指揮を助ける職務を務める者」とされています。イメージとしては主人に戦場で色々な策を出して戦で勝利を掴ませる者、という感じでしょうか。
しかし個人的な意見ですが、軍師にはもう一つのお仕事があると思います。それは主人のサポートをこなし進むべき道を歩ませ頂点に立たせる者、これもまた軍師の仕事であると考えます。
戦以外でも戦いはいくらでもある乱世、その中で曹操を覇者に押し上げた人物こそ、曹操の軍師と言えるのではないでしょうか。そしてこれらの要素を踏まえて考えると、筆者は二人の人物が思い浮かびます。
曹操の軍師と言えば……郭嘉!
まず前者として上げたい人物は、郭嘉。対袁紹、対劉備、対孫策……色々な場面で郭嘉は曹操に献策を行っています。特に袁紹との戦い付近は彼の最大の活躍とも言える場面であり、後継者たちの戦いからその後の北方平定まで大きく貢献しました。
しかしこの活躍が最大と言えるのは、郭嘉が早逝してしまったからというのもあるでしょう。郭嘉はこの後に病没、郭嘉を重用していた曹操は深く悲しんだと言います。
軍事の場において郭嘉の存在は大きく、赤壁の戦いで「奉孝さえいてくれればこのようなことには……」と曹操は嘆いたほど。郭嘉は曹操の軍師の中でも、群を抜いた存在だったのでしょうね。
曹操のもう一人の腹心、荀彧
そしてもう一人名前を挙げたいのが、荀彧です。三国志演義でこそ曹操の懐刀として色々な画策を行う荀彧ですが、正史三国志において荀彧はそんなに戦術、戦略的献策を郭嘉のように行っていません。
荀彧の役目というのは主に曹操たちの軍が動いた時の留守番であり、後方支援、そして何よりも後方から事態を把握して曹操にアドバイスを贈るのが荀彧でした。
荀彧の活躍と言えば徐州攻めの際に呂布から三城を防衛した働きのみならず、官渡の戦いで弱気になった曹操を手紙で励ましてアドバイスし、官渡の戦いの勝利を陰ながら支えた存在となりました。曹操からしても安心して後ろを任せられる存在であったのでしょう。
軍師としてやるべきこと
郭嘉、荀彧ともに曹操の軍師として名前を挙げましたが、彼らには共通点があります。というのも彼らは曹操を「育て上げた」人。
国が出来てから補佐したのではなく、まだまだ曹操が力を持っていなかった時に補佐し、王としてのし上げた人物だからこそ「曹操の軍師」と言える人物たちだと思います。
特に荀彧は荀攸だけでなく、前述した郭嘉、陳羣、司馬懿、などの数多くの名士を推挙しています。天下に名前を挙げられるだけの人材を曹操に用意した荀彧は、筆者は最も曹操の軍師として働いた人物であると考えています。
その最期にこそ謎が多い荀彧ですが、彼は間違いなく曹操が頼みとした人物の一人だったでしょう。
三国志ライター センのひとりごと
今回は曹操の軍師、というテーマで色々なことを述べさせて頂きました。もちろん郭嘉、荀彧のみならず曹操を支えた、曹操を助けた軍師たちは数多くいます。しかし曹操を覇者にまでの仕上げた人物として考えると、やはりこの二人が曹操の軍師と言える存在ではないかと思います。
皆さんが考える曹操の軍師は誰でしょうか?
曹操のみならずその人物の支えとなった存在、そういった「軍師」的存在にも注目して三国志を見てみて下さいね。
参考文献:魏書荀彧伝 郭嘉伝
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