諸葛瑾はどうして弟・諸葛亮よりも影が薄いと言われるのか

2020年9月9日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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諸葛瑾

 

呉の大将軍にして孫呉の王である孫権(そんけん)の補佐役。

数多くの人々に慕われた諸葛瑾(しょかつきん)ですが、弟である諸葛亮(しょかつりょう)と比べるとちょっと地味?目立たない?

 

どうしてそんなことになってしまったのでしょうか?

果たしてこの兄弟にそれほど大きな違いがあるのでしょうか?

……というのが今回のテーマです。筆者の観点から、この二人の「違い」をまとめていこうと思います。

 

兄は呉へ、弟は劉備の下へ

諸葛瑾と幼い頃の孔明

 

三国志の武将たちの運命というのは正に「数奇」なものですが、この兄弟の運命もまた数奇なものであります。兄の諸葛瑾は洛陽(らくよう)の董卓(とうたく)の暴挙から逃げた先で人材を求める孫権と巡り合い、弟の諸葛亮は有名な三顧の礼(さんこのれい
)
にてまだ土地を持たない劉備(りゅうび)に仕えることとなります。

 

夷陵の戦いで負ける劉備

 

そうして赤壁の戦いを経て呉と蜀の関係は悪化し、兄弟の主は敵同士となっていくのです。

 

迎え入れられてから

劉備との楽しい思い出を振り返る孔明

 

まずは諸葛亮について見ていきましょう。諸葛亮は劉備に仕えてから、長坂の戦い(ちょうはんのたたかい
)
、赤壁の戦い(せきへきのたたかい
)
で、主を支えていきます。

父・関羽とともに亡くなる関平

 

その後、劉備は蜀の地を手に入れるも呉との関係は良くならないまま、樊城(はんじょう)で魏と呉に関羽(かんう)が殺されてしまったことで、最早(もはや)呉に対して蜀は不俱戴天(ふぐたいてん)の敵となってしまいました。

蜀の皇帝に即位した劉備

 

221年、劉備が漢帝(かんてい)となり、諸葛亮は丞相(じょうしょう
)
となります。

劉備の臨終に立ち会う孔明

 

後に夷陵の戦い(いりょうのたたかい
)
で劉備が呉に大敗北、223年にこの世を去ります。劉備は「我が子に才がなければ其方が王になるように」というも諸葛亮はそれを固辞、あくまで劉備の息子劉禅(りゅうぜん)を王として、その手足として蜀のために働いていくのでした。

 

孫権との出会いから

諸葛瑾

 

では次に兄である諸葛瑾(しょかつきん)の方も簡単に見ていきましょう。孫権との出会いから諸葛瑾は孫権の良い相談役となり、政治に軍事に悩む孫権を良くサポートしました。

敗北し倒れている兵士達b(モブ)

 

222年、江陵(こうりょう)の戦いでは夏侯尚(かこう しょう
)
や曹真(そうしん)相手に一進一退の戦いを繰り広げ、後に撤退させることに成功します。この際に孫権から臨機応変に欠けると言われるも、諸葛瑾が兵を失わなかったことを評価し、左将軍に昇格しました。後に229年に孫権が呉皇帝となった際に、大将軍に昇格しました。

 

挑発する諸葛亮孔明

 

つまり最終的な官職としては、諸葛亮は丞相、諸葛瑾は大将軍です。

 

丞相と大将軍

周昭が諸葛瑾をベタ褒め

 

諸葛瑾の大将軍というのは、陸遜(りくそん)が率いている荊州けいしゅう)方面以外、対魏戦線で最高司令官になります。丞相というのは王の補佐をする国家公務員の最高役職です。

 

曹操

 

因みに魏では曹操自身が丞相と呼ばれており、蜀では諸葛亮一人だけが就任。呉では丞相の実権は上大将軍・大将軍・大司馬の軍職が継承していました。つまり兄弟の役職的な位置は、国は違ってもさほど違いはなかったと思います。

弟は兄に比べて有名か?

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

さてではどうして諸葛瑾は弟に対してそんなに知名度がないように感じるのでしょうか?

 

三国志演義_書類

 

一つの理由として、三国志演義の存在があります。

 

悪役の曹操、正義の味方の劉備

 

三国志演義は基本的に蜀が主人公であり、劉備、諸葛亮という主役、曹操、司馬懿(しばい)という敵役がクローズアップされます。その弊害が呉の扱いがかなり良くない、活躍の場が限られているので必然的に諸葛瑾も目立たなくなるのです。と、同時に筆者はもう一つの理由も挙げてみたいと思います。

 

孫呉と蜀漢の違い

劉備に資金を提供する簡雍

 

それは孫呉と蜀漢の決定的な、もっというと曹魏との違いも理由にあります。というのも蜀、劉備の配下は人材に乏しいのです。もちろん有名な武将たちも数多くいますが、早逝したり、主に夷陵(いりょう)の戦いで戦死したりと、蜀漢は慢性的な人材不足でした。

 

張昭、孫権、孫策、周瑜

 

対して呉、そして魏は多くの人材を集めました。つまり優秀な人材として考えると、呉も魏も分母が大きすぎるのです。

 

劉備軍で出世する魏延と黄忠

 

一方蜀では人材不足から一人一人が目立ちます……もちろん諸葛亮の優秀さもありますが、その点で目立つ、目立たないが生まれてしまったのでは?と筆者は思います。

 

似たもの兄弟

寿命が伸びる儀式を行う孔明

 

最後にちょっと小話を。三国志演義では妖術師か?というような活躍をしている諸葛亮ですが、正史における諸葛亮はむしろ慎重派、奇策を好まず、確実に勝てると踏んだ時にしか攻めないようなタイプでした。

 

考える諸葛亮孔明

 

このため陳寿(ちんじゅ
)
からは「臨機応変の軍略は得意でなかったのではないか」も言われており、魏と長い間「勝てずとも負けない戦い」をし続けたことは有名です。

 

ポイント解説をするセン様

 

そしてその兄である諸葛瑾は孫権から「慎重で兵を失わなかったことは素晴らしい」「でも子喩ってちょっと臨機応変に欠けるよね」と評価されたことを考えると、何となくこの二人は兄弟なんだなぁ、と感じて面白いですよね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回はちょっと諸葛瑾と諸葛亮の違いというか、立場を説明させて頂きました。後年は三国志演義での知名度やクローズアップの差もあり、どうにも現代での扱いは弟の方が大々的です。

 

三国志を楽しく語るライターセン様

 

しかしその能力や立場は、決して諸葛瑾は弟に勝るとも劣らない魅力と面白さがあります。筆者的にはぜひ今後プッシュされて欲しい人物の一人ですので、どうぞ諸葛瑾を、諸葛子喩(しゆ)をよろしくお願いします!!

 

参考文献:呉書諸葛瑾伝 呉主伝 蜀書諸葛亮伝

 

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民間伝承の三国志

 

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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